V9の間にシーズン4回、日本シリーズ4回の胴上げ投手。元祖スクリューボーラーの野球人生は“ミスター強運”のひと言 文=大内隆雄、写真=BBM 
これは66年6月21日、サンケイ戦[神宮]でのプロ初勝利の1枚。高橋氏の霊前に献げたい
7月28日付の朝日新聞(東京発行14版)の「ひと」欄は、なかなかいい原稿だった。筆者の山下弘展記者は、名文記者になれると思う。プロ野球新記録の通算3018試合出場を達成した
中日・
谷繁元信監督兼捕手を扱っているのだが、短い行数の中に過不足なく「人間谷繁」が収まっている。特に最後のところがいい。引用する。
小学2年で野球を始めた。夏になると、ふと思うことがある。「夏休みってどんな感じだろう。ずっと野球だったからね。いま、『夏休みとりたい』って言ったらクビだけど」。ユニホームを着る日は続く。 プロ野球を目指すぐらいの元「野球少年」だったら「そうだよなあ」と大きくうなずいたのではないだろうか。「夏休みって、どんな感じだろう」。なんだか、胸にジワジワと迫ってくる言葉である。
日本の「野球少年」は、「世間少年」になることの断念と引き換えに野球少年になる。いわゆる世の中のいいこと悪いこと、楽しいことつらいこと、うれしいこと悲しいこと等を学ぶ機会を捨てても、野球に熱中する。
だから、あるとき、「オレは、こういう訓練は受けてこなかったからなあ。どうすればいいんだろう」と“世故の壁”の前に戸惑うことになる。
もう15年ぐらい前になるが、高橋の自宅で話を聞いているときだった。彼は「話はまったく変わるけど・・・
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