文=斎藤寿子 写真=BBM 
7月1日の巨人戦(東京ドーム)でプロ初先発初勝利を飾った薮田
「こんなにも早くこの日が来るとは……」
正直、先発投手の名前を見て、驚いた。と同時に、熱い感情が湧き出てくるのを感じた。亜細亜大学からドラフト2位で入団した
広島カープのルーキー
薮田和樹が、1日の巨人戦で、プロ初登板初先発を果たしたのだ。結果は5回まで投げ、5安打2失点。打線の援護もあって、見事プロ初勝利を挙げた。
彼の能力からすれば、それほど驚くことではないのかもしれない。「初登板でよくやった」というくらいのものだろう。しかし、だ。ケガに苦しみ続け、登板したのはわずか2試合であり、リーグ戦未勝利に終わった大学4年間を考えれば、こんなにも早くプロ初登板の日を迎え、さらにプロ初勝利まで挙げるとは予想していなかったのだ。高校時代の勝利の味に、薮田自身、感慨も一入だったことだろう。
初回、初めて一軍のマウンドに上がった際、薮田は帽子を取り、丁寧に一礼をした。その姿に彼が感謝の気持ちを今でも持ち続けていることがうかがい知れた。薮田は大学最後の年、春に右肩痛を発症し、投げることができなかった時期が続いた。その間、彼に託されたのはブルペンバッター。ブルペンで投げるピッチャーのためにバッター役として立つことだった。しかし、その経験によって感謝の気持ちがわいたと薮田は語っている。
「ブルペンバッターは打つことはなく、ただ立っているだけ。下手したら死球が当たる役割なんです。初めてやってみて、『こんな痛い思いをするだけのことをやってくれていた人がいたんだな』ということに気づきました。自分がここまでこれたのは、こういう人たちの支えがあったからなんだと改めて感じました」
マウンド前での一礼には、こうしたさまざまな感謝の思いがあったに違いない。
薮田がプロ1年目からファームで成績を残し、一軍でも通用した要因のひとつは、大学時代にはかたまっていなかったフォームが安定したことにあるように思う。
薮田は188センチと長身ながら腕の振りが非常にコンパクトで、バッターからすればタイミングがとりづらい。これは高校時代から故障の多かったヒジへの負担を軽減するため、大学時代にテイクバックを小さくするように修正したことにある。大学時代はぎこちなさが拭えなかったこのフォームを、プロに入って自分のモノにできたことが、思いきりのいいピッチングにつながっているのだ。
自身のピッチングへの自信は、2-2の同点で迎えた5回裏に最も表れていた。1死から四球とエラー、ヒットで満塁とした場面で、4番・
阿部慎之助、5番・
亀井善行に対し、ひるむことなく強気の姿勢を貫き、見事無失点に抑えたのである。マウンドを降りていく薮田の引き締まった表情からは、確かな手応えがにじみ出ていた。
直後の6回表、ルーキーの力投に応えるかのように打線が奮起して一挙6点を挙げて勝ち越し、薮田に初白星がついたのだ。打線から援護してもらえるのも、ピッチャーとして重要な要素である。彼にはそれがあるということだ。
薮田の最大の武器は150キロを超えるストレートである。彼自身、そのこだわりは非常に強い。
「キレのある変化球も打ちづらいとは思いますが、やはりバッターにとって一番対応しづいらいのはわかっていても打てないボール。それが速いストレートだと思います。だからこれからもストレートに磨きをかけていきたいです」
ドラフト直後にインタビューした際、彼はそう語っていた。
巨人戦でもストレートは150キロを超え、キレのあるいいボールがいっていた。あのコンパクトなテイクバックから150キロ以上のスピードボールが放り込まれるのだから、バッターはタイミングがとりづらかっただろう。しかし、そのストレートが活きたのも、緩い変化球をうまく織り交ぜていたからだ。
彼が投げた88球の中で最も印象に残ったのは、5回裏、2死満塁で迎えた亀井への初球である。その前の阿部に対して140キロ台後半のストレートを続けたピッチングからは予想のつかない、114キロの緩いカーブを放ったのだ。その後は一転、力で押すピッチングで二ゴロに抑えたのだが、初球のカーブが亀井のバッティングのリズムを微妙に狂わせたように感じられた。
ルーキーの力投に鼓舞されたかのように、チームもそこから4連勝 を飾った。いよいよ本領発揮となるのか。今後のピッチングに注目していきたい。