
チームからの離脱を発表した嶋。その無念さは察するに余りある(写真=BBM)
無念がにじむ。沈痛な表情からも、絞り出した言葉からも。
3月4日、
嶋基宏が右ふくらはぎ痛のため、侍ジャパンを離脱した。同日午前10時、日本代表の公式スーツを身にまとい、大阪市内の日本代表宿舎で取材に応じた嶋は、一言ひとこと、丁寧に言葉を選びながらその胸中を告白している。
「一番はやはり悔しいです。試合に出ろと言われたら、出ることはできます。ただ、出るからには100%、120%できないと迷惑がかかってしまう。中途半端なパフォーマンスでプレーをして、それが敗戦につながってしまったら……。今の状態では無理だと判断しました」
2013年の侍ジャパン常設化と、それに伴う
小久保裕紀監督就任時から代表チームのキャプテン。14年の日米野球も、15年のプレミア12も、リーダーの嶋を中心に侍ジャパンは戦い、寄せ集めの集団は次第に結束したチームへと成長を遂げた。2月の
楽天キャンプ期間中に今回の箇所を痛めたが、「今の状態でも必要な選手。可能性があるなら行けるところまで行こう」と指揮官が回復を待ったのも、その求心力を必要としたためだ。
辞退は嶋本人が小久保監督へ申し出たことで決まったが、仮に申告がなかったとしたら、戦力上、第3の捕手を失うことになっても、指揮官は嶋を残し、結束を保つ道を選んでいたに違いない。一方の嶋は、逆にプレーできない自分が外れることで、戦力の補充を望み、誰よりも思いの詰まったチームを守る道を選んだ。どちらの判断も侍ジャパンを思うがゆえのものだ。

嶋に代わり緊急招集された炭谷。国際試合経験は豊富なだけに心配はない(15年のプレミア12より。写真=Getty Images)
救いは代替出場の
炭谷銀仁朗が小久保ジャパン立ち上げ時のメンバーでもあり、国際経験豊富(13年WBC、プレミア12にも出場)な捕手である点。代替出場が正式発表される前夜、嶋から「直前に申し訳ない」とメールを受けた炭谷は、「全然大丈夫です」と返信しており、合流後も「違和感がない。なじんでいる」との周囲の評価を、即試合となった5日の強化試合(
オリックス戦)でも証明している。3対3の7回からマスクをかぶると、
千賀滉大、
宮西尚生、
秋吉亮を好リード。チームの2試合ぶりとなる逆転勝利は、炭谷のリズムの良い熟練のリードと無関係ではないだろう。
嶋離脱は大会開幕を3日後に控えたアクシデントであったが、図らずも「嶋のために」で再びチームは結束を高めている。加えて炭谷の緊急招集は経験の浅い捕手陣にあっては大補強。逆境が、大会を目前に控えたチームを一歩、前進させた。
文=坂本匠