
マウンドではいつもイライラしていたガルベス。興奮剤の使用が疑われた時期もある
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は4月2日だ。
2017年3月31日東京ドーム。
巨人の開幕投手の有力候補は
菅野智之だったが、首脳陣が3試合に先発登板したWBCの疲労を考慮し、ギリギリになって
マイコラスに変えた。16年は右肩痛もあって4勝に終わったマイコラスだが、すでに故障は回復。15年は13勝と力は十分にある。普通に考えれば、もう少し前に決断してもよかったのだが、ローレン夫人の出産でアメリカに帰国しており、菅野以上にコンディション維持が難しいのではないか、と言われていた(20日に長女誕生。リリアンちゃんと命名)。
結果から言えば、
中日相手に150キロの快速球とタテのカーブを軸にピッチングを組み立て7回2失点の好投。その後を
マシソン、
カミネロとつなぎ、外国人投手3人で開幕戦の勝利をつかんだ。
4月2日は、マイコラスの前に巨人の外国人投手が開幕戦勝利を飾った日である。
1999年、マウンドに立ったのは、バルビーノ・ガルベス。この名前にピンと来る方は多いだろう。球団史上“最強”とも“最凶”とも言われる助っ人投手だ。
96年にテスト生として入団。同年16勝で同僚の
斎藤雅樹とともに最多勝に輝き、リーグ優勝に貢献した右腕で、快速球とチェンジアップを武器にした。
日本球界での実績は十分、この年もオープン戦から好調とあって、妥当は妥当の開幕投手だったが、巨人ファンの中にさえ、すっきりしない気持ちがあったのも事実だ。
実は、ガルベスにとって、この開幕戦は98年7月31日の
阪神戦(甲子園)以来の公式戦登板。この試合については今後紹介することもあると思うが、退場の際、なんと審判に向かってボールを投げつけ、一時は無期限出場停止処分が下されていたのだ。
結局、巨人はガルベスと再契約。この日、巨人としては史上初の外国人の開幕投手となり、1失点の完投勝利を飾った。ただ、この年は9勝止まり、00年は外国人枠もあって、なかなかチャンスをもらえず、0勝6敗。今度は契約でもめ、この年限りで退団となっている。
写真=BBM