
代打サヨナラ満塁弾で喜びを爆発させる鵜久森
神宮が大歓声に包まれた。
4月2日、
ヤクルト─
DeNA戦。4対4の同点で迎えた延長10回裏、一死満塁で打席に入ったのが代打・
鵜久森淳志だった。済美高時代に2004年のセンバツ優勝、夏準優勝を導いたスラッガーだが、
日本ハム入団後は伸び悩み、15年限りで解雇。トライアウトを受け、16年ヤクルトに入団した。
初球、マウンドの
須田幸太が投じた低めのストレートにバット一閃。打球はレフトスタンドに飛び込む、劇的な代打サヨナラ満塁ホームランだ。「やったろうと。(ヤクルトに)拾ってもらった恩返しをしたいという思いはあります」とお立ち台で声を弾ませた鵜久森。代打サヨナラ満塁弾は史上16人目。ヤクルトでは1982年
岩下正明以来2人目となる。
〝先人〟の岩下は現在、横浜で「ステーキハウス岩下正明」を経営する。三菱重工横浜から80年ドラフト4位でヤクルトに入団した左打者で、82年は代打の切り札的存在となっていた。
試合は4月6日の
広島戦(神宮)だ。このときも一死満塁。マウンドには
福士敬章が立っていた。岩下は好投を続けていた投手の
梶間健一の代打で打席に入り、やはり「狙っていた」という初球のアウトコース低めのストレートを右中間スタンドに運んだ。
実は4月6日は夫人の誕生日でもある。プロ初安打も含め、3打数3安打1四球、出塁率10割と〝愛妻家〟ぶりを発揮している。
この82年、岩下はひとつ同年のリーグ最多記録をマークした。死球10個だ。レギュラーではなく、192打席での数字だからすごい。
「特攻精神ですね。ぶつかってでも塁に出たいという気持ちがありました。そうじゃなかったら代わった投手に申し訳ない。インサイドに来ても怖いと思ったことはありません」
かつての取材で岩下は、語気を強め、そう話した。
鵜久森と岩下。共通点は〝気合〟だ。
写真=高塩隆