
同年のシーズン中『週刊ベースボール』の企画で金田(左)との対談も行われた
1年目から活躍する投手はそれなりにいる。しかし、打者はそう簡単ではない。高いポテンシャルがあってもプロの投手のスピード、プロの変化球、さらには長いシーズンを戦うだけの体力がなく、失速するケースがほとんどだ。
しかし1958年、いきなり球界の主役となり、三冠王も狙える位置につけた男がいた。
ミスタープロ野球・
長嶋茂雄(
巨人)である。そして、その公式戦デビューが4月5日だった。この企画は、現在と過去をつなぐのが一つのテーマだが、今回に限り、例外を認めてほしい。知恵を絞り、資料をいくらひっくり返しても、比較する材料がなかった。
入団前、立大で東京六大学の当時のホームラン記録通算8本を達成。攻守にスピーディかつパワフルなプレーを見せ、プロ野球選手以上の人気を誇った(当時は東京六大学自体にプロ野球以上の人気があった)。巨人へは1800万円で契約(推定)。物価の違いは明確ではないが、いまなら4億円程度になるとも言われ、衆議院の文教委員会でプロ野球契約金の高騰が問題になった。
長嶋はオープン戦でもプロの投手を打ちまくり、日本中の期待が高まるだけ高まって迎えたのが、後楽園での巨人─国鉄戦だった。相手は国鉄、いや球界の大エース、
金田正一。この年31勝、防御率1.30で最多勝、最優秀防御率、さらには沢村賞も手にした左腕だ。
“天皇”とも言われた誇り高き男が「こんな若造に負けてたまるか」と投げ込んだのが、この日の4打席だった。全球をざっと振り返ろう。
[第1打席]ストレートを空振り、カーブを見逃しストライク、カーブがボール、ストレートを空振りで三振
[第2打席]カーブがボール、カーブがボール、カーブをファウル、カーブがボール、ストレートを空振り、カーブを空振りで三振
[第3打席]ストレートを空振り、カーブをバントしたが空振り、ストレートを空振りで三振
[第4打席]ストレートがボール、カーブがボール、カーブを見逃しストライク、ストレートがボール、カーブを空振り、カーブを空振りで三振
要は4打席4三振だ。ただし、配球を見てもらえば分かるようにストレートで牛耳ったわけではなく、カーブがメーン。金田がいかに長嶋を警戒していたか分かる。
その夜、「寝苦しいどころか1日中ぼうっとしていた」という長嶋は、この屈辱をパワーに変え、同年打率.305、29本塁打、92打点、37盗塁で本塁打王、打点王。打率もリーグ2位だからいきなり三冠王に近づいたことになる。さらにいえば、1本、ベースの踏み忘れでアウトになったホームランがあり、それがなければ、いきなりのトリプルスリーだったことになる。
さらに2年目は打率.334で首位打者。実はセ・リーグの3割打者は長嶋一人だ。たった2年で、長嶋は人気、実力とも球界No.1の座に立ってしまった。
写真=BBM