
記録達成で花束を受け取った柴田。左は高橋一三投手コーチ
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は4月25日だ。
今季は序盤戦から
広島の新人・加藤拓也が4月7日の
ヤクルト戦(マツダ広島)で9回一死までノーヒットノーラン、さらに
DeNA・
今永昇太、
西武・
菊池雄星の1安打完封などもあった。3人には「もしあそこで甘い球を投げなかったらノーヒットノーランが……ああ、もったいない!」と、“たられば”で眠れない夜もあったかもしれない(大げさか)。
ただ、運を使い切ったのかノーヒットノーランの“一発屋”もいるし、その後、調子を崩してしまう例もけっこう多い。
1990年4月25日にノーヒットノーランを達成した
日本ハム・
柴田保光がそうだった。
柴田は社会人時代に所属チームが解散するなど、波乱万丈の野球人生を送った右腕だ。79年西武でプロ入りし、84年日本ハムに移籍。87年には血行障害で手術を受けたが、前年の89年に9勝を挙げ、復活を遂げていた。
この年は最初の登板が7回2失点、2戦目が1失点完投で2勝をマークし、この日の近鉄戦(東京ドーム)が3試合目の登板。「ブルペンでは調子が悪かった」という柴田だが、立ち上がりから抜群の制球力で猛牛打線を封じ込める。4回の先頭打者を四球で出すも併殺打で切り抜け、打者27人、残塁0の準完全で歴史に名を残した。
苦労人だけに、ふだんから謙虚な性格で知られた柴田は、記録達成後も“らしさ”を見せ、ウイニングボールを気前よく客席に投げ込み、試合後、記者たちが景気のいい答えを期待し、「次の目標は?」と聞くと、「4勝目です」と真顔で答えたという。
ただ、これで運を使ったかのように、その後、7試合、勝ちから見放され、しかも完投負けが5試合。6月14日にようやく4勝目を挙げたが、その後、再び5試合勝ち星に見放された。それでも7月28日からは8勝2敗、通算では12勝10敗。やはり野球人生、山あり谷ありか……。
写真=BBM