
1943年は34勝で最多勝にも輝いている藤本
2017年5月2日、
巨人・
菅野智之が
DeNA戦(東京ドーム)で3試合連続完封勝利を飾り、大きな話題となった。その際、史上最多記録達成者として登場しているのが、巨人・
藤本英雄だ。野球の歴史に詳しい方なら「スライダーの元祖」「日本初の完全試合達成者」などの称号が思いつくだろうが、この連続完封記録の達成は、戦中の1943年、まだ藤本がスライダーを投げておらず、完全試合も成し遂げていないころだ。
明大のスター選手として東京六大学で通算34勝を挙げる活躍をし、まさに鳴り物入りで42年秋巨人に入団。9月27日の大洋戦(戦後の大洋とは関連がない)での初登板は異例の大騒動となり、新聞で告知され、1万6000人の大観衆が集まった。この試合の勝利投手となった藤本は以後、快速球と抜群の制球力、さらに強心臓を武器に閉幕まで10連勝を飾っている。
翌43年がすごい。42年の
野口二郎(大洋)と並ぶ史上最多19完封をマークし、防御率0.73も史上最高記録。8月2日の
大和戦からが史上最多となる6試合連続完封勝利だ。ただ、この時期は戦局の悪化により、球の材質が劣悪で飛ばず、主力選手が次々応召、球界全体のレベルが落ちていたのも事実。リーグ全体の平均打率.196、平均防御率1.94と、完全に“投高打低”の時代の記録ではある。
なお、藤本は55年限りで引退するまで367試合に登板し、200勝87敗をマーク。通算防御率1.90は2000投球回以上ではトップと、最後まで“点を取られない投手”であり続けた。
写真=BBM