
オフにはヒゲ剃りのCM出演のためトレードマークのヒゲを剃った
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月1日だ。
セの首位をかけ、デッドヒートが続く
広島、
阪神の激闘。チームの色分けとしては「打力の広島」、「投手力の阪神」。どちらもバランス的には今一つで、現在の決め手を欠く展開につながっている。
投高打低の展開になると、阪神のオールドファンはいつも思う。「ああ、あの男がいたらなあ……」と。そう1985年、優勝、日本一のけん引車となった
ランディ・バースである。同年、打率.350、54本塁打、134打点と打ちまくり、「神様」とも呼ばれた左バッターだ。
しかし、翌86年、阪神はまさに“優勝ボケ”となる。不振の選手が相次ぎ、四番・
掛布雅之は骨折。春先はBクラスに低迷した。バースもまた、ヒットこそコンスタントに打っていたのだが、ホームランがまったく出ない。4月が3本、5月も21日までわずか2本だった。あまり練習熱心なタイプではなかったバースも、この不振にさすがに焦り、自宅にトスバッティング用のマシンとネットを買い込み、“秘密練習”をした。
結果はたちまちあらわれ、ホームラン量産体制に入る。5月31日の大洋戦(甲子園)でレフト、ライトに2打席連続本塁打、さらに翌6月1日の同カードではセンターにふたたび2打席連続本塁打で4打席連続の日本タイ記録。その後、敬遠をはさんでセンターフライで記録は途切れたが、6月は打率.468、13本塁打と打ちまくり、最終的には日本最高の打率.389、47本塁打、109打点で2年連続三冠王に輝いた。
ただし、86年に関しては、あまり“いい前例”と言えないかもしれない。チームは3位には入るも、一度も優勝争いに絡むことはなく、翌年以降は一気に暗黒時代に入ってしまったのだから……。
バースもまた、88年途中フロントともめ、シーズン途中で解雇となった。
写真=BBM