
死球を受けたアゴを抑えるマニエル
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月9日だ。
阪神・
鳥谷敬が顔面に死球を受け、翌日から顔の上半分を覆うフェースガードを着けて出場。すぐに外してしまったが、一部からは「似合っていた。もう一度着けて」と待望論もチラホラある。
ヤクルトの
バレンティンもアゴをガードするような“携帯電話つきヘルメット”(byやくみつるさん)をかぶった。
フェースガードを最初に着けた日本球界の選手となると、1979年、近鉄の
チャーリー・マニエルに突き当たる。190センチ超の巨体から「赤鬼」とも言われた男だ。
この年、ヤクルトから移籍したマニエルは、すさまじい勢いで打ちまくり、チームをけん引。5月の月間MVPにもなった。しかし近鉄に前期Vのマジックナンバーがついていた6月9日、悲劇が訪れる(当時は前後期制)。
日生球場での
ロッテ戦だった。5回裏。
八木沢荘六の投球をまともにアゴに受け、右下アゴ粉砕骨折。アゴから血をしたたらせながらマウンドに向かうが、チームメートに止められた。この時点で打率.371、24本塁打、60打点を稼いでいただけに痛い、痛い離脱だったが、チームは貯金を生かし、そのまま前期Vのゴールを切った。
当初、復帰は早くても9月と言われたが、マニエルは8月3日にはフェースガードつきヘルメットをかぶってベンチ入り。離脱前ほどのハイペースではなかったが、37本塁打でホームラン王にも輝いた。チームも後期は落とすが、プレーオフを制し、球団創設以来初優勝。マニエルはシーズンMVPにも輝いている。
なお特製ヘルメットはアメフト用を改造したものだが、「ガード部分が上下に動き、本当は非常に打ちづらかった」と後日、語っている。
写真=BBM