
試合後のヒーローインタビュー。右は勝利投手の香田勲男(現阪神コーチ)
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月14日だ。
育成契約から支配下となり、一軍初打席から2打席連続で代打ホームランを放った
広島・
バティスタ。その衝撃のデビューに87年、入団から1週間で6本塁打を放った
ヤクルトのホーナー、あるいは翌88年、
巨人の
呂明賜を思い出したオールドファンは多いだろう。
87年6月14日は、この呂がデビューした日である。台湾球界で大砲として鳴らした呂だったが、巨人ではあくまで「第3の外国人」(当時は外国人選手を2人までしか登録できず)。エースの
ガリクソン、主砲の
クロマティを外すわけにはいかず、開幕から二軍生活が続いていた。しかし、前日13日の阪神戦(甲子園)でクロマティが死球禍で左手親指を骨折。離脱したため、急きょイースタンで三冠王と打ちまくっていた呂が一軍登録。14日のヤクルト戦(神宮)では六番スタメンに抜てきされた。
最初の打席は初回一死一、三塁。呂はヤクルトのギブソンの2球目をスタンドにたたき込み、初打席初本塁打。その後も9試合で7本塁打。フォローの大きな独特なスイングも話題となって旋風を巻き起こし、
王貞治監督も「アイツはジャイアンツを救う男だよ」と称賛した。結局、シーズンを通しての成績は尻すぼみだったが、一瞬の輝きはいまなお球史に残っている。
あっ、カープファンの皆さん、バティスタの活躍が一瞬というたとえ話ではありません。誤解なさらず……。
写真=BBM