
貫録たっぷりの張本(この写真は後楽園のホームゲーム)
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月20日だ。
1975年、
長嶋茂雄新監督の下、
巨人は史上唯一の最下位となったが、翌年はコーチ陣一新とともに大型トレードを決行。その目玉の一つが
日本ハム・
張本勲の加入だった。当時の格として、巨人の
王貞治、長嶋のいわゆるON砲に匹敵する選手は7度の首位打者に輝く張本だけだった。一匹狼的な性格が巨人に合うかどうかという話もあったが、張本は「僕は評価があれば必ず応える。長嶋監督を胴上げするために、死んでも頑張ってみるよ」ときっぱり言い切った。
翌76年はその言葉どおりのシーズンになった。ヒザ、腰、腕、足首と故障を抱え、まさに満身創痍の状態ながら打率.355、チームで唯一130試合にフル出場。のちに張本は「巨人じゃなかったら休んで首位打者を取っていた。パ時代は、あんなにたくさんのファンから応援されたことがないからね。あの少年たちの目を見たら休めんよ」と語っている。
6月20日は、その張本が
阪神戦(甲子園)で当時のセ・リーグ記録30試合連続安打を達成した日だ。しかし、続く22日の大洋戦前、練習で自打球を足の甲に当て、ほとんど走れない状態となった。それでも「チームのために」と強行出場した張本に巨人ナインは「ハリさんに回せ!」とずっと声を出し続けた。結局、無安打に終わったが、張本は試合後、「ベンチであの声を聞いて目頭が熱くなった。みんなのあの気持ちがあれば、記録なんてどうでいいよ」と笑顔で語った。
写真=BBM