
内野手として96年に入団し、97年投手に転向した
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月27日だ。
2017年、2打席連続の代打ホームランと鮮烈なデビューを飾った
広島の
バティスタ。多くの選手を輩出したドミニカ共和国のカープアカデミー出身だが、その大先輩の1人が、この日、ちょっと変わった記録の“主役”となった。
フェリックス・ペルドモ。カープアカデミーから1992年に一度、広島入団も足の骨折で退団し、台湾でプレー。その後、96年に二軍の外国人枠が撤廃されたこともあって広島に再入団した男だ。同期のアカデミー出身は4人。そのうちソリアーノ、ペレスは、のちメジャー・リーガーとなっている。
同年二軍で打ちまくって一軍でもプレーした
ペルドモだが、強肩を買われ、翌年から投手に転向。中継ぎ投手として一軍でも登板したが、パッとせず、99年は内野手登録に戻した。ただ、時々登板もする、いわゆる“二刀流”。当時は外国人投手の一軍登録は2人となっていたが、試合の登板までの制限はなく、グレーゾーンの存在となっていた。
“事件”が起こったのは、1999年6月27日の
巨人戦(広島市民)。広島先発はミンチーだったが、その後をペルドモ、
デハートとつなぐ禁止のはずの助っ人3人リレー。まさに野球協約の盲点をついた策だったが、試合は敗れ、ペルドモは敗戦投手になっている。その後、物議を醸したことで、一度だけの珍事で終わったが、このときの監督は、やはり
達川晃豊(光男)さんでした。
写真=BBM