
13連勝を飾った堀内(左)と川上監督。V9の2年目に登場したスーパールーキーは、以後V9のエースとして君臨
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は7月27日だ。
全国各地の地方大会も佳境。東東京の早実・
清宮幸太郎をはじめ、プロ入り後の活躍が注目される選手が多数登場し活躍を見せているが、プロの壁はやはり高い。高卒即1年目から主力として活躍する選手は、歴代を見ても決して多くはなく、特に野手では、東映の
張本勲、西鉄の
中西太、
西武の
清原和博らレジェンドと言える選手までさかのぼらなければならない。
投手のほうがまだ多いが、それでも高卒ルーキーで沢村賞となると、史上ただ1人。1966年、甲府商高から入団した
巨人の初代ドラフト1位、
堀内恒夫だけである。
堀内の一軍初登板は、66年4月14日の
中日戦(中日球場、のちナゴヤ球場)、巨人・
川上哲治監督は、ローテの谷間に打撃投手要員として帯同させていた新人・堀内を先発にダメ元で抜てき。期待(?)に応え、初登板初先発で初勝利を飾っている。ただ、その後はリリーフに回り、二軍落ちも経験。2勝目は5月30日まで空くが、その大洋戦(川崎球場)は完封勝利。以後、快進撃が始まる。
快速球と大きなカーブを武器に勝って勝って勝ちまくった。同時に新人らしからぬ茶目っ気のあるビッグマウスも話題になる。いわく「プロの力が落ちているのではなく、僕の力がそれ以上なのです」。甲斐の小天狗、悪太郎……幾多の異名が生まれるのも当然だった。
7月27日の
阪神戦(甲子園)で完投し、ついに開幕から無傷の13連勝。うち3試合連続完封、44イニング連続無失点もあった。投球の後、帽子がずれるのも特徴だったが、実は「そのほうが速い球を投げたように思われるだろうと、わざとサイズの大きな帽子をかぶっていた。そのほうがみんな喜ぶしね」という。
記録は7月31日の
広島戦の黒星でストップ。その後にも二軍落ちを経験したが、終わってみたら16勝2敗、防御率1.39で新人王、最優秀防御率、さらに沢村賞を獲得。打率.250も素晴らしい。守備もうまく、まさに野球センスの塊のような男だった。
1年目「21」だった背番号は、2年目、
藤田元司の後の「18」に。巨人のエースナンバーを“磨き上げた”男でもある。
写真=BBM