
「あてにならないバッター」とも言われていたランス
ついにトップに立った。7月27日、メットライフドームで行われた
オリックス戦。8回裏に
中村剛也(
西武)が左翼席上段へ23号アーチを放った。この一撃で、本塁打争いでトップに立つ
柳田悠岐(
ソフトバンク)に並んだ。その後、柳田は2発を追加し、22本だった
ウィーラー(
楽天)も2発を重ね8月2日現在、中村は
レアード(
日本ハム)とともに3位だが、規定打席に到達すれば必ず本塁打王を獲得する男がホームランキングの大本命であることは間違いない。
打点もリーグ3位の66を稼いでいるが、打率は.223と下から3番目の数字。中村らしいと言えば中村らしい成績だが、もし、打率最下位で本塁打王となれば史上4人目の珍しい記録となる。過去の3人は1974年に打率.226、38本塁打の
ジョーンズ(近鉄)、87年に打率.218、39本塁打のランス(
広島)、2011年に打率.228、31本塁打の
バレンティン(
ヤクルト)だ。
この“珍記録”の代名詞的存在となっているのは、やはり3人の中でも最低打率のランスだろう。
87年に来日したランス。前年限りで
山本浩二が引退し、その穴を埋める活躍を期待された。左打席からの強烈なアッパースイングが武器で4月14日、ナゴヤ球場で行われた
中日戦で来日第1号。そこから4試合連続本塁打と爆発した。しかし、打率が上がらない。5月には打撃30傑から名前が漏れた。四番も外され七番へ。すると、6月9日の大洋戦から16日のヤクルト戦まで史上7人目、球団史上初の6試合連続本塁打をマーク。だが、記録が途切れた途端、沈黙。それ以後、6月中は1本の安打も出なかった。
とにかく引っ張り専門のバッティング。8月20日の
巨人戦(後楽園)では
桑田真澄から29号を左翼席へ叩き込んだが、これが本人いわく「生まれて初めて」レフトへ放った本塁打だったという。
最終的に安打は88。ほぼ2本に1本はホームランという計算だ。三振もリーグワーストの114。「三振か、本塁打か」を繰り返し、バットに当たりさえすれば本塁打という打撃を当時のテレビCMにたとえ、「ランスにゴン」と揶揄されながら、前年三冠王のバース(
阪神)や
落合博満(中日)、旋風を巻き起こしたホーナー(ヤクルト)を抑えてのタイトル獲得を果たした。
来日2年目には途中で代打を送られたあと、風呂に入って試合中に帰宅、スタメンから外されるとベンチで漫画を読むという奇行もあった。結局、88年9月6日、シーズン途中に退団してしまった。
日本球界でプレーしたのは2年に満たないが、記憶にも、記録にも残る外国人の一人であることは間違いない。
写真=BBM