1977年、今から40年前、大げさではなく、日本中がプロ野球に熱狂した時期がある。王貞治のハンク・アーロンが持つ当時のメジャー最多記録通算755号本塁打への挑戦だ。アーロンはブレーブス、ブリュワーズで76年まで現役を続けたホームランバッターだが、その引退翌年に王が世界記録を狙うのも、面白いめぐり合わせではある。週刊ベースボールでは、9月3日、756号の世界新記録達成までのカウントダウンを当時、王がホームランを打った日に合わせながら、写真とともに振り返る。 中日3連戦で3試合連続の4本塁打

ナゴヤ球場は相性がよく、これが6試合連続本塁打
756号の新記録まで、ついに1ケタとなった747号の次の1本、748号は翌8月11日に早くも出た。9日からの
中日3連戦で3試合連続の4本だ。6試合連続というナゴヤ球場との相性も光る。
この日の中日先発は、左の軟投派・
松本幸行。74年の中日Vイヤーに20勝を挙げ、76年まで5年連続2ケタ勝利と安定していたが、77年は最終的に5勝止まり。力が落ちていたことは間違いない。ただ、この日は、持ち前の人を食ったようなピッチングがはまり、
巨人打線を王の本塁打による1点のみに抑え、2対1の完投勝利を飾っている。
王のホームランは、8回無死、松本の2球目、外角スライダーをとらえたものだ。ライトスタンドにソロ本塁打。松本は「うまく打ちよるな」とぼやいたが同年、王の対松本の最終結果は17打数8安打、打率.471、本塁打4。左対左ながら王は徹底的にカモにしていた。
この試合はナイターだったが、王がホームランを打った瞬間、大阪の旅館から大歓声が沸いた。甲子園に出場していた王の母校・早実の宿舎である。「僕たちへの祝砲。頑張ります」と早実ナイン。
一方、王はこの日の午前中、名古屋の宿舎ロビーで早実の甲子園初戦(2回戦)をテレビ観戦した。相手は桜美林高、つまり東京対決だった。試合は4対1で早実の勝利。「初戦を勝って、これで気が楽になって持ち味が出せるだろう。打線もいいしね」と笑顔で語った。
王は32本でホームランダービーの単独トップ。チームも2位に大差をつけているだけに敗戦の試合後ながら表情は穏やかだった。
「単独トップ? まだまだだよ」
ただ、王を囲む記者団の数は日に日に増え、異様な雰囲気となってきた。
<次回に続く>
写真=BBM