連日、熱戦が続く夏の甲子園。『週刊ベースボール』では戦後の夏の甲子園大会に限定し、歴代の名勝負を1日1試合ずつ紹介していきたい。 準決勝で最初のミラクル

まずは準決勝の中京戦、9回裏に4点差を追いつき、12回裏に押し出し四球でサヨナラ勝利
まさかの休部となってしまった大阪の名門・PL学園だが、のちプロで活躍する幾多の名選手を生みだし、また、幾多の奇跡的な勝利を飾り、「逆転のPL」とも呼ばれた記憶は、高校球界に永遠に残る。
今回は、このPLが初優勝を飾った1978年夏を振り返る。「逆転のPL」のフレーズを定着させるきっかけとなった大会だ。
まずは8月19日、準決勝の中京(愛知)戦だ。試合は中京ペースで進み、9回表が終わって0対4とPLはードを許していた。9回裏、PL最後の攻撃。奇跡への口火を切ったのは、エースで四番、西田真次(現真二。のち
広島)の三塁打だ。そこから怒とうの攻撃で一挙4点を奪い、同点。延長戦にもつれ込む。
迎えた12回裏、二死満塁から中京のエース、武藤哲裕が四球で、押し出しサヨナラ勝ち。PLの鶴岡(のち山本姓に)泰監督は「信じられないようなことをやってのけ、いまは何が何だか」と笑顔を見せながらも「ここまで来たのだから、目標はあと1つしかありません」と言って表情を引き締めた。
決勝で光った西田の強心臓

決勝戦、9回裏サヨナラのホームを踏んだのはエースで四番の西田だった
<1978年8月20日>
第60回大会=決勝 PL学園(大阪)3-2高知商(高知) 翌日の決勝、2度目の奇跡が起こった。相手は2年生の左腕エース、
森浩二(のち阪急ほか)を擁する高知商だ。鶴岡監督は、その朝、父親の
鶴岡一人(南海の伝説的名将)に電話をし、「無心でやれ」と言葉をかけられたという。試合前には記者に「あんな奇跡(準決勝の逆転劇)は二度とは起こりませんよ」と話していたという。
試合は高知商ペースで進み、3回表に2点を先制。一方のPL打線は森に完全に抑え込まれ、スコアボードに「0」を並べた。
迎えた9回裏、先頭の中村博光がセンター前で出塁、これで森に少し硬さが出たか、続く谷松浩之に四球を出した。これを犠打で送り、二、三塁とした後、捕手で主将の三番打者・
木戸克彦(のち
阪神)がセンターへの犠飛で、まず1点。さらに四番・西田が同点のタイムリー二塁打でたたみ掛ける。こうなるともう勢いはPLだ。続く柳川明弘が左中間に二塁打。二走の西田がかえってサヨナラ勝ちとなる。
「優勝がこんなにしんどいものとは思わなかった」と鶴岡監督もホッとしたような笑顔。サヨナラのホームを踏んだ西田は、「野球をやっていて本当によかった。最高にうれしい!」と声を弾ませたが、決勝ではピンチでマウンドに来た伝令に「お前がしっかりせえ」とおどけたり、同点打の場面でも「一度、思い切り振ってみたかった」と高めのクソボールを強振するなど、その強心臓ぶりは光っていた。
写真=BBM