1977年、今から40年前、大げさではなく、日本中がプロ野球に熱狂した時期がある。王貞治のハンク・アーロンが持つ当時のメジャー最多記録通算755号本塁打への挑戦だ。アーロンはブレーブス、ブリュワーズで76年まで現役を続けたホームランバッターだが、その引退翌年に王が世界記録を狙うのも、面白いめぐり合わせではある。週刊ベースボールでは、9月3日、756号の世界新記録達成までのカウントダウンを当時、王がホームランを打った日に合わせながら、写真とともに振り返る。 11日ぶりのシーズン34号

750の大台に乗ったホームラン記録。取材攻勢も日に日にすさまじいものとなっていく
8月12日、大洋戦(後楽園)で749号を放ってから雨による試合中止もあって、ストップしていた世界記録へのカウントダウン。ふたたび動き始めたのが、8月23日、
広島戦(広島市民)。3連戦の初戦だった。
広島に向かう前、「この3連戦で1本出ればいいよ」と話していた王だが、3回、先頭打者で打席に立つと、広島・
池谷公二郎が3ボール1ストライクから投じた真ん中低めのカーブを右翼スタンド中段に放り込む750号のメモリアルアーチを放った。11日ぶりのシーズン34号でもある。
「いつもは、ゴロになる球だった。調子がいい証拠かな」と試合後の王。騒動は、過熱する一方だが、「声援はありがたくいただくが、自分まで過熱したら身動きが取れないよ」と笑っていた。
打たれた池谷は、「750号目なんてまったく知らなかった。その前にカーブを投げたときタイミングが合っていなかったので、カーブで勝負した。そうと知っていたらストレートで勝負すればよかったかな」と話している。
試合は
巨人が4対3で勝利。先発の
加藤初は、これが311日ぶりの勝利。前年15勝4敗8セーブで優勝に貢献した右腕だが、この年は肋膜炎で前半戦を棒に振り、一度は引退も覚悟したという。その苦しみを知るだけに、「きょうは加藤の勝利がすべて」と語る
長嶋茂雄監督の目は真っ赤になっていた。
一方、張り切り出したのが巨人の助っ人、リンドとライト。理由はアメリカのマスコミが王の記録達成に向け、大挙来日してきたからだ。「アメリカで、あいつはベンチにいて試合に出ていないなんて記事を書かれたくない」というのが本音だったらしい。
<次回に続く>
写真=BBM