1977年、今から40年前、大げさではなく、日本中がプロ野球に熱狂した時期がある。王貞治のハンク・アーロンが持つ当時のメジャー最多記録通算755号本塁打への挑戦だ。アーロンはブレーブス、ブリュワーズで76年まで現役を続けたホームランバッターだが、その引退翌年に王が世界記録を狙うのも、面白いめぐり合わせではある。週刊ベースボールONLINEでは、9月3日、756号の世界新記録達成までのカウントダウンを振り返っていく。 2日連続の“未遂”

第2打席の二塁打でセカンドに滑り込む王。ヤクルトの右翼手・マニエルの好返球もあって“ギリギリセーフ”だった
8月31日に755号本塁打を放ち、世界記録に並んだ王だったが、月が変わり9月1日の試合は不発に終わった。
翌2日、10時過ぎに、王家のインターフォンが王番記者たちの手で押される。恒例だが、王の様子をお手伝いさんに確認するためだ。
「王さんは起きてますか? 何をしていますか?」
お手伝いさんも手慣れたもので、「はい、おかげさまで無事に生きておられます」。
これで記者たちがどっと沸く。
この日、集まったファンは200人以上。いつものようにパトカーがやってきて“会場警備”をする。これもいつものことだが、サインを求める長い列ができ、この日も王は全員にサインした。
新聞記者たちは当時、「知らないのは彼が寝ていて見た夢くらい」と細かく取材したというが(なお、勝手に夢の内容を想像して書いた記者もいたらしいが)、それを許した王がすごいというべきだろう。前年700号本塁打やベーブ・ルースの714号を抜くかどうかの時期は、やや神経質になったようだが、そのときの経験もあって、今回は、まったくの平常心に見えた。
しかし、世界新挑戦は2日連続、“未遂”に終わった。
後楽園でのヤクルト戦。相手の先発は、754号を打った
松岡弘だったが、第1打席は投ゴロ、第2打席はライト線への二塁打、第3打席は四球とホームランなし。続く第4打席は、またも“王キラー”、
安田猛が登場したが、「心臓に毛が生えている」とウワサされた男もさすがに意識したか、今回は四球。安田は試合後、記者団に「ファンに申し訳なかった」と頭をかいた。
とにかく球場の沸き方は半端ではない。王が打席に入ると、1球1球に歓声やため息。第4打席では「かっとばせ!」
コールも起こっていた。
試合は3対1でヤクルトの勝利。ただ、この日はいわば“前夜祭”だ。いよいよ運命の日、「9.3」が訪れる……。
<次回に続く>
写真=BBM