
11月19日には川上新監督(右)が就任会見。水原前監督も笑顔で握手していたのだが
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月2日だ。
「1対1で勝負しよう!」
怒声が響いたのは、1960年10月2日、
広島市民球場での広島─
巨人ダブルヘッダーの後だった。この年、巨人、西鉄の監督としても優勝経験がある
三原脩が万年最下位の大洋監督に就任。いきなり大旋風を起こし、巨人がこの日の1試合目に敗れた時点で球団初の優勝が確定していた。
水原監督は試合後のベンチ裏で、至近距離から盛んにシャッターを押していたカメラマンに「いい加減にしろ。撮るな!」と怒鳴り、それでも撮り続けた1人を何度か殴打。さらには冒頭の言葉を吐いてロッカールームに引きずり込もうとした。
このときは周囲がとりなし、冷静になった水原監督がカメラマン謝罪して収まったが、球団はすぐ水原監督を謹慎処分とし、翌日から閉幕まで
川上哲治ヘッドコーチが監督代行として指揮を執り、11月19日になって川上の新監督就任、水原監督のフロント入りが発表された。
もともと水原は球団社長の品川主計と対立。オフの退任騒動は定番のようになっていた。それでも勝っていればよかったのが、56年から3年連続で三原監督率いる西鉄、59年には南海に日本シリーズで敗れ、4年連続で日本一に届かず、さらにこの年は、前述にように三原監督率いる大洋に敗れ優勝を逃した。シーズン終盤から監督交代は既定路線になっており、それを察知していた水原のフラストレーションが爆発した事件でもあった。
なお水原はその後、巨人を退団。12月8日に東映監督に就任している。
写真=BBM