今年は10月26日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で53年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。 全体的に多かった渋めの職人肌選手

高橋の逆指名会見。実際には笑顔もあったが、マスコミに使われたのは渋い表情が多かった
1997年11月21日 第33回ドラフト会議(新高輪プリンスホテル) [1位選手]
ロッテ 渡辺正人(上宮高)
中日 川上憲伸(明大)
ダイエー
永井智浩(JR東海)
阪神 中谷仁 (智弁和歌山高)
日本ハム 清水章夫(近大)
巨人 高橋由伸(慶大)
近鉄
真木将樹(法大)
広島 遠藤竜志(NTT関東)
オリックス 川口知哉(平安高)
横浜
谷口邦幸(町野高)
西武 安藤正則(専大)
ヤクルト 三上真司(敦賀気比高)
仕方がないとも言えるが、この年のドラフトは、会議前に半分以上終わった感があった。実力的にも、持っている“華”の部分でも、プロで即中心選手と言われた大学生2人の行方が逆指名で決まっていたからだ。
ただ、2人のドラマは対照的だった。通算28勝を挙げた明大の川上憲伸は「いつの間にかそうなっていた」と、のちのインタビューで笑っていたが、明大OBである
星野仙一監督率いる中日をすんなり逆指名。一方、通算23本塁打の東京六大学新記録を作った慶大の高橋由伸は、巨人、ヤクルト、西武などの間で揺れ、悩みに悩んで、最終的に巨人を逆指名した。2人はいずれも、それぞれのチームを代表する選手に成長した。
残る会議での注目は平安高の左腕・川口知哉だった。ビッグマウスと言われ、「オリックス以外なら社会人」と明言していたが、近鉄、オリックス、横浜、ヤクルトの競合になる。それでもオリックス・
仰木彬監督が左手でしっかり当たりクジを引き当て、夢をかなえたが、残念ながらプロでは大成できなかった。
ほかの1位ではダイエーが99年優勝に貢献した永井智浩、ロッテが内野のユーティリティー、渡辺正人を指名したが、正直、高橋、川上以外は、伸び悩んだ印象がある。
2位ではダイエーが永井同様、99年優勝に貢献した
篠原貴行(三菱重工長崎)、そして阪神が2003年の20勝投手、大型左腕の
井川慶、ヤクルトが剛球右腕、現
ソフトバンクの
五十嵐亮太。1、2位から川上、井川、五十嵐と3人のメジャー・リーガーを輩出していることになる。3位ではロッテに
藤田宗一(西濃運輸)、中日に
正津英志(NTT北陸)と中継ぎで存在感を示した名前も並ぶ。
4位にはダイエーが永井、篠原同様、99年優勝に貢献した右腕・
星野順治(NKK)。96年ドラフトの際、「ダイエードラフトの集大成」とも書いたが、この年はワキ役的投手の補強で、“来るべき時”の準備をさらに進めていたことになる。ほかにも1年目から打率3割の阪神・
坪井智哉(東芝)、先日引退を発表した日本ハムの
飯山裕志(れいめい高)、巨人、中日で活躍した捕手の
小田幸平(三菱重工神戸)、1年目の開幕戦で救援ながら勝利投手となった広島の
小林幹英、さらにリリーフ、移籍した横浜では先発でも活躍した西武の
土肥義弘とプリンスホテル出身者2人がいる。
ここまで名前を挙げていくと、全体的に渋めの職人肌が多いが、その象徴が中日5位、堅守巧打の
井端弘和(亜大)だろう。ほかの5位にも日本ハムが、巨人でも活躍した内野のユーティリティー、
古城茂幸(国士舘大)、広島が捕手の
倉義和(京産大)といる。
<次回に続く>
写真=BBM