浜田監督が推進した基礎体力の向上

東大は法大2回戦に勝利し、2002年秋以来の勝ち点。宮台(写真中央)は一塁スタンドへ笑顔で報告しに行った
ただの「1勝」ではなかった。東京六大学リーグ戦は勝ち点制。つまり、1カードで2勝を挙げて初めて勝ち点「1」。東大にとって「2勝」は厚い壁だった。説明するまでもなく、日本の最高学府・東大にはスポーツ推薦がない(詳細を言えば、慶大、立大にも存在しない)。高校時代に実績のある選手をそろえた他の5大学と比べれば選手層、経験値から言っても明らかに劣る。
しかし、野球は何が起こるか分からない。10月8日、東大は甲子園経験者をそろえる法大戦に連勝で勝ち点を挙げた。02年秋(対立大)以来、30季ぶりの快挙である。連勝は1997年春(対立大)以来、法大戦に限れば、勝率制だった28年秋以来、89年ぶり出来事であったのだ。
13年春から母校・東大を率いる浜田一志監督はしみじみと語る。
「46連敗で引き継いで、2年間勝てず、48回負けて、(15年春の法大1回戦でリーグワースト94連敗を阻止して)1つ勝てた。東大を強くしたい、と取り組んできて、成果として出た」
浜田監督が推進したのが基礎体力の向上。1日5000カロリーの摂取を義務付け、ウエートトレーニングは月1回の測定会を設け、すべて数値化して、チーム内の活性化を促した。パワーをつけた後はスキルアップに着手。早大OBの
谷沢健一特別コーチ(元
中日)の下で打撃技術を磨き、スピードに負けない力強いスイングを身に着けた。今秋は4カードを終えてチーム7本塁打。投手陣も「赤門史上最高投手」と言われる
宮台康平(4年・湘南高)に後押しされるように、勝負強い投手陣が育ってきた。
新フォームが固まったラストシーズン
連敗街道――。最もつらい時期、14年春に入学したのがプロ注目左腕・宮台である。1年春はメンバー外でスタンドから東大戦を一歩引いた目で観戦していた。
「悔しい気持ちで見ていました。早く、自分はマウンドに立って抑えたい。でも当事者になってみて、勝つのは難しくて、少しずつ力をつけて階段を上がってきた」
宮台は1年秋にリーグ戦デビューを飾ると、2年秋に初勝利。3年春には2勝を挙げると、日米大学選手権の侍ジャパン代表に選出。だが、もともと左肩痛を抱えており、秋のリーグ戦前に再発。同秋は救援で1勝を挙げたが、1試合のみの登板に終わった。今後の野球人生を見据え、体に負担の大きかったフォームを大幅に修正。この春に復帰登板を果たしたものの、未勝利に終わり、チームも10戦全敗だった。
ラストシーズンの今秋。ようやく新フォームも固まり、慶大1回戦で通算5勝目。だが、1勝1敗となった3回戦は先発で4回途中降板と、勝ち点奪取は現実的に遠かった。しかし、再びチャンスが巡ってきた。宮台は法大1回戦で2失点完投勝利。94連敗で阻止して以来、8度目の勝ち点挑戦である。2回戦を前に、浜田監督は「七転八起だ!」とチームに発破をかけた。
30季ぶりの勝ち点となった法大2回戦のスコアは8対7だった。5対8で迎えた9回表に2失点。6回から救援した宮台も前日完投からの連投で、一死一、二塁とさらにピンチが続いた。だが、後続2人を「自分のストレートを信じて、気持ちだけで投げました」と、1点差で逃げ切った。「七転八起と言って、8対7。野球の神様は意地悪だな、と」(浜田監督)。
試合後、宮台は指揮官同様、興奮気味に話した。
「勝ち点は1勝とは訳が違う。東大に受かったのと同じくらいの喜びです。この喜びは東大野球部を知っている人にしか分からない。全員で勝てた勝利だと思う」
さらに、宮台は踏み込んだ。
「これで、六大学になれたと思っている」
この言葉は何を意味しているかと言えば、勝ち点0である限り、最下位を脱出することはできない。つまり、勝ち点1を奪取したことで初めて、順位争いに加わることができるのだ。東大が残すは10月21日から予定される明大戦。結果次第では98年春から続く最下位脱出が実現できる。宮台は後輩へのメッセージを込めて言った。
「下級生はここがスタートライン。ここを基準にもっと上に行ってほしい。そのためにあと1カード、上級生がお手本になる。背中を見せて引退したい」
10月5日にプロ志望届を提出したが「学生野球に集中したいと思います」と淡々と語った。神宮に足跡を残すと明言した宮台の最終カード、燃え尽きてほしい。
文=岡本朋祐 写真=松田杏子