
チームメートから胴上げされる松井
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月23日だ。
2002年のリーグ優勝、日本一、さらには自身初の50本塁打を置き土産にFAでのメジャー移籍を表明した
巨人・
松井秀喜。その後も日米野球で変わらずGのユニフォームを着続けたが、本当に本当の最後の時がやってきた。
11月23日、東京ドームで行われたジャイアンツ・ファンフェスタ。この日の松井は、はしゃぎまわった。出身高校を東西で分けての試合では、右打席から左打席に飛び移るパフォーマンスを見せるも大きな空振りで尻モチ。球場を大いに沸かせた。
最後、選手たちが並び、その前に選手会長の松井が立った。
「若い選手が育ち、ジャイアンツはますます魅力的なチームになってきました。これからもみなさんに愛されるチームになっていきたいと思います」
自らの行方とは関係なく、選手会長としてのコメントだった。
その直後、松井は1学年下の盟友・
高橋由伸に背中を押されてナインの真ん中に入ると、そのまま胴上げ。その後、「ドラフトのとき以来かな。やっぱりうれしかったですね」と笑顔で語った。
一度、ベンチ裏に引き揚げた後、再度現れ、場内1周。少し赤くなった目で、ファンに手を振る。これが最後の巨人のユニフォームとなった。
予定としては翌24日、巨人選手会主催の少年野球教室が最後の巨人のユニフォーム姿となるはずだった。しかし、直前になって欠席の連絡が入る。2、3日前から体調を崩しており、この日の朝になって発熱したらしい。
打撃講習で、高橋由は会場にあったオロナミンCの松井の等身大看板をネットの向こうに置き、子どもたちの笑いを取る。講習の後には、ミニ質問コーナーもあり、“目前”にいる松井についての質問もあった。
「松井さんはどんな人ですか」
すると看板を指さし、「すごく大きいだろう。プロでも特別な存在なんだよ」と言い、「メジャーに行くとさびしいですか」と聞かれ、「うん、そうだね」とうなずいた。
天才と言われ、プロ1年目から結果を出し続けてきた高橋由。重圧もあったはずだが、おそらく、その風を和らげてくれたのが、松井の大きな背中だった……。
おそらくいま、選手時代以上の強風をまともに正面から受けている高橋由監督。笑顔が少ないと言われるが、素顔は気さくで、笑顔の多い男でもあった。松井でなくてもいい。その風を和らげる背中が彼の前に現れてほしいとも思う。
写真=BBM