近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。 FA権を行使せず残留を示唆も……

西武入団発表時の西崎
[1997年オフ]
日本ハム・
西崎幸広⇔西武・
石井丈裕、
奈良原浩 1997年シーズンの全日程が終了した翌日の10月3日、日本ハムは西崎幸広に事実上の戦力外を言い渡した。同年オフのFA権行使が注目されていた西崎だが、3勝と不本意な成績に終わったこともあり、チームに残留することを示唆していた矢先のことだった。
球団の今井常務は西崎が残留しても、トレード要員として考えていることを明らかにした。「これまでのチームへの貢献を考慮して、移籍先については、西崎本人の希望に沿う形にしたい」ということだったが、11年間にわたってチームを支えたエースには何とも厳しい言葉だった。
「今まで自分がやってきたことは、何だったんだという感じですね」と嘆いた西崎幸広。「こうなったら何とか見返してやりたい気持ちが強い」と日本ハムと同じ在京のパ・リーグである西武への移籍を希望した。
すると西武・
東尾修監督が西崎を救ってくれた。同じ一匹狼的気質。「オレのところでやれば再起できるぞ」と呼びかけ、石井丈裕と奈良原浩を出してまで西崎を獲得してくれたのだ。
西崎は11月1日、西武と正式契約をかわしたが、この日、東尾監督は大きなプレゼント。自らが現役時代に着けていた背番号「21」を西崎に与えたのだ。「『21』を着けるのは荷が重いけど、背番号を汚さないように頑張ります」と西崎も大感激していた。
西崎は98年、故障があり、わずか4試合の登板に終わったが、翌年はクローザーとして20セーブをマーク。新人の
松坂大輔が初先発した4月7日の日本ハム戦(東京ドーム)でセーブを挙げ、スーパールーキーのプロ初勝利に貢献した。
写真=BBM