近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。 トレード時点では巨人がお得に見えた

巨人から南海に移籍した山内は初年度にいきなり20勝を挙げた
[1972年オフ]
巨人・
山内新一、
松原明夫⇔南海・
富田勝+金銭
収支決算でいえば、明らかに南海の大幅プラスだった。
南海はもともと、トレード巧者だったといえる。1946~68年まで務めた
鶴岡一人監督は「鶴岡CIA」と呼ばれたほど、他球団でくさっている、浮いている選手の情報を素早くつかみ、効果的なトレードを敢行してきたのだ。
その流れをくみ、69年オフに監督となった
野村克也はすぐさま、
広島から
古葉竹識らを獲得しているし、71年オフには東映から
江本孟紀。東映の1年間で0勝だった江本は翌72年、16勝でエース格となっていた。
そして矢継ぎ早に72年のオフ、巨人から山内新一と松原明夫(のち福士敬章)を獲得する。富田勝プラス金銭という交換だった。
この時点では、巨人のほうがお買い得に見える。富田といえば
田淵幸一、
山本浩二と並ぶ法政三羽ガラスとしてドラフト1位で入団し、2年目の70年には、全試合に出場して23本塁打、打率はリーグ10位の.287を記録していたのだから。3、4年目と伸び悩んだとはいえ、まだ26歳と若い。衰えを見せてきた
長嶋茂雄のサポート役としては、うってつけだった。
対して――南海が獲得した山内といえば、巨人の5年間で通算14勝。72年は0勝で、しかもヒジを痛めていたため、スピードには疑問符がついていた。松原にいたっては、ドラフト外で入団して2年目に一軍昇格を果たしたものの、4年間で未勝利とあって、南海ファンでさえ首をひねる交換だ。だが、野村監督は「73年からは前後期の2シーズン制が導入される。投手力の強化は大きく、このトレードは大成功」。
移籍選手の活躍で南海は優勝

松原もローテーションに食い込む成長を見せ、1年目から7勝を挙げる
そして――フタを開けてみれば、野村監督の目論みどおりになるのだ。山内は曲がったヒジで自然とスライドする直球と、持ち前の制球力を武器に開幕から勝ちまくる。前期だけで14勝を稼ぎ、プレーオフ進出に大貢献。終わってみれば20勝8敗の好成績だ。
一方の松原にしても、チェンジアップとフォークを武器に先発ローテーションの一角に成長し、7勝。チーム年間68勝のうち、4割近くの27勝をこの元巨人2人で稼ぎ出したのだ。
もっといえば江本の12勝を加えると6割弱。つまり、移籍1、2年目の3投手がいなければ73年、南海ホークスとしての最後の優勝はあり得なかった。対して73年、巨人での富田は、わずか出場44試合にとどまっている。
山内は、この年を含め南海在籍時代に20勝を2度達成するなど通算143勝、松原もNPBで91勝。のちに球界に定着する「野村再生工場」の創業は、どうやらこのあたりにルーツがありそうだ。
写真=BBM