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【キセキの魔球25】41歳マイナー・リーガーの挑戦を、米メディアが応援する理由

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2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語――。

相次いだ大家のマイナー契約を興味深く取り上げる記事


41歳となった大家の挑戦はアメリカで話題を呼んだ(写真はホワイトソックス時代)


 2016年12月、MLBボルティモア・オリオールズが、ナックルボーラーに転向した大家友和とマイナー契約したことを受けて、全米4大ネットワークの各社ウェブ版には、そのニュースを興味深く取り上げる記事が相次いだ。たとえばCBS Sportsでは次のように報じている。

「あなたは、トモ・オオカを覚えているだろうか? レッドソックスやエクスポズなどで10年メジャーで活躍した彼のことを。かつてウービナの交換要員となり(2001年エクスポズへ)、またスパイビーとの交換で(2005年ブリュワーズへ)トレードされたこともある。覚えているよね。それならば結構。その彼がなんと、41歳の誕生日を目前にいまだにメジャー復帰の夢を追い続けているという。ここ最近はナックルボーラーとしての研鑽を重ねてきたというではないか。ナックルボーラーとして成功を収めるのは、宝クジに当たるよりも難しいことだ。オオカとオリオールズは果たして好機をつかむことができるだろうか? いや、たぶんその可能性は低いと言わなければならない。しかしたとえそうだとしても、この夢がついえるそのときまで、このベテランの先発のことは何でも知っているくらいな気概でいたってバチは当たらない」

 また、MLBのアドバンス・サイトにはこんなユニークな記事も載った。

「これは二つの理由に基づき、とてもカッコいいことである。理由その1は、MLBはいつだってナックルボーラー、とりわけ経験豊富なベテランのナックラーを必要としていること。そして二つ目の理由は、もし彼がメジャー復帰すれば、バートロ・コロンと並び、現役を続ける唯一の元エクスポズのメジャー・リーガーということになるからである。繰り返すが、彼はメジャーに戻るため、ナックルを開拓した40歳の元エクスポズの選手である。まだ彼を応援していないそこのキミも、ぜひそうするべきではないのかね」

 別のサイトでは、ボルティモアの地元記者が、オリオールズのGMダン・デュケットの個性を踏まえ、オオカ獲得の意図を探っている。デュケットは、レッドソックスのGMだった1998年、横浜ベイスターズ5年目だった22歳の大家とメジャー球団として最初に契約した人物である。ボストンのあるマサチューセッツ州やその近隣州はニューイングランド地方と呼ばれ、マサチューセッツ州出身のデュケットは一帯に強固な地盤を持っていた。

「デュケットは、外国人選手や、よく分からないリーグからも選手を引っ張ることで知られ、あるいはまたボストンとニューイングランドにおけるつながりを重んじ、一風変わったピッチャーが好みなのだ。最近は日本の独立リーグで投げていたというレッドソック絡みの日本人ナックルボーラーを獲得(もちろん、オオカのこと)。これはもう典型的なデュケットらしい動きの極みである。“オオカのコントロールは素晴らしく、オリオールズで試す価値のあるベテランだ”と、デュケットは言っている。(オオカは)日本のセミプロであるBCリーグの福島ホープスで16試合に投げ、防御率2.82の成績だった。確かに数字からは見るべきものがある。ちなみに余談ではあるが、1999年、オオカが日本を去ってメジャーを目指したとき、現在オリオールズで活躍する三塁手のマニー・マチャドはまだ6歳の子どもだった」

ナックルボーラー育成に積極的になれたオリオールズ


オリオールズのショーウォルター監督


 たしかに、デュケットはナックルボーラー贔屓である。もともとはレッドソックス時代にティム・ウェイクフィールドを育てている。10年ぶりにオリオールズでGMに復帰したとき、彼は2年目の春季キャンプにフィル・ニークロを招聘しているのだ。その目的は、当時マイナー・リーガーとして潮時に差し掛かっていた20代後半の3人の投手に対し、ナックルボーラーへの転向の可能性を探っていたからだ。

 そのうちの一人、ザック・クラークは、その年、8年間に及ぶマイナー生活の末、ついにメジャー・デビューを果たした。ところが昇格後に1試合登板しただけで4日目にクビを宣告される。当時すでにオリオールズの監督はバック・ショーウォルターだった。監督室に呼ばれ、クラークは、キミはナックルボーラーに転向するつもりはあるかと聞かれた。

 ショーウォルターで思い出すのはR.A.ディッキーのことだ。2005年当時、テキサス・レンジャーズでプロ7年目だったディッキーもまた、監督室に呼ばれ、生き残りをかけるにはマイナーへ行ってピュア・ナックルボーラーとして生まれ変わるしか道はないだろうと言われている。このときの監督がやはり彼なのだ。しかもクラークが宣告されたのは2013年であり、2012年にディッキーがナックルボーラーとして史上初めてサイ・ヤング賞を受賞してからわずか半年後のことだった。最大の成功例を得て、ナックルボーラーが最大級に脚光を浴びた時期でもある。しかも、そのきっかけを作った人物と、ウェイクフィールドという成功例を誇るデュケットGMがそろい、オリオールズはナックルボーラーの育成により積極的になれたわけである。

 しかし、オリオールズのナックルボーラー3人組のうち二人は、一年で挫折してしまった。唯一長続きしたのが、当時28歳だったエディー・ガンボアである。その後、複数球団を渡り歩いたのち、2016年、ガンボアはカンザスシティ・ロイヤルズでついにメジャー・デビューを果たし、7試合に登板している。ナックルを投げ始めてから4年目のことだった。

 デュケットGMは、当時、ナックルボーラーを育てることを地元新聞にこう語っている。

「見返りを得るのはいつごろかって? そんなことは分からない。彼らが(ナックルを)ものにして、いつかメジャーで投げる可能性を考えたら、もちろん投資の価値はある。もし、メジャー・リーグ投手として確立したら、いったいいくら稼ぐかその額を考えてごらんなさい。どんな球種で打者を打ち取るかによって何か違いでもありますか? まったくないですよね。大切なのはパフォーマンスがどうかですから」

信じがたい挑戦に対する驚愕の念


 組織にナックルボーラーが一人もいなくなって丸1シーズンが過ぎ、オリオールズが契約したのが大家友和だった。チームの監督は引き続きショーウォルターで、GMはデュケット。面子は同じだが、前回の3人と決定的に違うことが二つある。

 一つは、前例の3人はナックルを投げ始める前にメジャーで一度も投げたことがなかったのに対して、大家はメジャー10年のベテランだ。大リーグ51勝の実績がある。

 そしてもう一つの大きな差は、彼の年齢である。20代後半のマイナー・リーガーと、41歳になろうとするベテラン選手とでは、チームが考慮する時間的猶予に差が出て当然だろう。だから、ナックル好きな組織が再びナックルボーラーを育てようとしているなどと捉えてはいけないのだ。どんなチームだって、41歳のナックルボーラーを手塩にかけて育てようとはしない。だいたいからして41歳のマイナー・リーガー自体存在しないのだから。そこにこそ、アメリカの主要媒体が彼の挑戦を取り上げた意味がある。

 もともと大家は、アメリカでは“和製マダックス”と言われていた。教授と呼ばれたグレッグ・マダックスのように、制球力に優れ、淡々とアウトを取ってイニングをこなす“イニング・イーター”のイメージを持たれているのだ。肩の負担が少ないナックルボーラーの真骨頂はどれだけ長いイニングを投げ、リリーフ陣を引っ張り出さずにすむか、である。つまり、ナックルボーラーの目標は、究極の“イニング・イーター”なのだ。そういう意味で、現地北米での反応に�∀太愁泪瀬奪�垢離肇癲Ε����淵奪�襯棔璽蕁爾謀掌�靴燭海箸紡个垢覦穗卒兇肋�覆�辰燭茲Δ忙廚Α4鑞僂陛蠎蠢釮里△襯���函⊃�裕ぜ舛離淵奪�襯棔璽蕁爾離ぅ瓠璽犬砲呂修譴曚紐屬燭蠅�覆�辰燭里澄�

 その一方で、41歳にもなってなぜもう一度マイナー・リーガー! しかも、よりによって最も極めるのが難しいとされるナックルボールになんで手を出した! という彼の信じがたい挑戦に対する驚愕の念もあるだろう。

 いずれにしても、大家友和に求められていることは一つだった。限りなくメジャーに近いマイナー・リーガーであれ、そうでなければこの挑戦の日々は終わる。契約が決まったその日から、胃が切り刻まれるような切迫感に襲われながら、大家友和の大勝負は始まったのである。

<次回12月20日公開予定>

文=山森恵子 写真=Getty Images

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