2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 巻頭グラビアは西鉄─巨人のオープン戦
今回は『1959年4月8日号』。創刊52号で定価30円だ。センターカラーは『闘志燃える
阪神の魅力』の見出しで
吉田義男ら阪神の野手陣。このカラー写真は保存されている。蛇足になるが、週ベの売りは過去のカラー写真が圧倒的に豊富なことだ。これは新聞社では当日作業、しかも白黒紙面が基本なので、ほぼ自社で現像できるモノクロ写真のみを使っていたことがあるようだ(カラーポジの現像機は高額だった)。センターグラビアではオープン戦で阪急を完封した阪神期待の新人・
村山実も特集されていた。
巻頭グラビアは西鉄─巨人のオープン戦。本文巻頭もこのカードを『幻の日本シリーズ』のタイトルで特集している。事細かに描写されているが、気になった個所をいくつか。
その1、当時、自家用車を持っていた西鉄選手は3人。車種は
関口清治が「フォードの55年型」、
豊田泰光が「シボレーの56年型」、
久保山誠が「
ダットサン」。ちなみに久保山の車は中古で「あまりスピードが出せないところ」が気にいった。当時、博多から小倉までは車で2時間半ほどだったらしいが、久保山のダットサンは、その倍かかったという。
もう1つ、巨人ベンチに最高級品のバナナとネープルが差し入れされたとき、選手がみなその場で皮をむいて食べていたのを、のち「岐阜の貯金箱」と言われた森昌彦だけが、こっそりジャンパーのポケットにしまい込んだという。
座談会もこの両軍から西鉄・
中西太、豊田泰光、巨人・
藤田元司、藤尾茂が登場。西鉄の2人が車の免許を取ったという話の中で豊田が、
オレなんか、免許証をもらう前から免許皆伝だったけど、正式にはもっていないんで、東京に行ったときはずっと弟に乗せてもらっていた。これからは乗せてやれるけどね、大ぴらにさ(笑)。
おおらかな時代である。
広告では当時球団を持っていたこともあるのか、東映映画の広告がよく載っている。今回は「お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷」。もちろん、総天然色だ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM