背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 プロ野球の歴史とともに
プロ野球の歴史は、この男から始まったと言っていいだろう。沢村栄治。1934年、その快速球とドロップで来日した全米選抜を本気にさせた弱冠17歳、唯一の日本人投手だ。歴史に「もしも」はないが、この日米野球の成功がプロ野球誕生の機運を加速させたことを考えると、少なくとも数年は誕生が遅れたかもしれない。その沢村の背番号が「14」だ。
沢村は度重なる応召で肩とヒジを痛めて巨人を解雇され、3度目の応召で戦没。「14」が永久欠番となったのは終戦から2年後の1947年のことだった。戦後の巨人で2人の選手が「14」を着けたため、背番号の系譜における複数選手のうち、最初の選手が永久欠番となっている唯一の例となっている。
【12球団主な歴代背番号「14」】
巨人 沢村栄治★、
今泉勝義、
坂本茂 阪神 菊矢吉男、
木下勇、
中村勝広、
弓長起浩、
能見篤史☆
中日 板東英二、
谷沢健一、
今中慎二、
朝倉健太、
谷元圭介☆
オリックス 西村正夫、
阿部八郎、
宮本幸信、
山口高志、
吉田一将☆
ソフトバンク 木塚忠助、
佐藤道郎、
若田部健一、
馬原孝浩、
加治屋蓮☆
日本ハム 宇田東植、
川原昭二、
酒井光次郎、
井場友和、
加藤貴之☆
ロッテ 佐藤平七、
山根俊英、
長島哲郎、
小宮山悟、
大谷智久☆
DeNA 大石正彦、
関根知雄、
パチョレック、
森中聖雄、
石田健大☆
西武 安部和春、
五月女豊、
石井貴、
小野寺力、
増田達至☆
広島 大田垣喜夫、
外木場義郎、
津田恒実、
澤崎俊和、
大瀬良大地☆
ヤクルト 高橋輝、
高山忠克、
小林国男、
宮本賢治、
秋吉亮☆
楽天 河本育之、
牧野塁、
佐竹健太、
則本昂大☆
(☆は現役、★は永久欠番)
更新される伝説

広島・津田恒実
南海の木塚忠助、中日の谷沢健一ら好打者もいるが、やはり「14」は好投手の背番号だ。各チームにさまざまなタイプの投手が並ぶ。
52年の開幕戦で弱冠18歳5カ月の高卒新人ながら開幕投手を務めて完投、初登板初勝利を飾った広島の大田垣(のち備前)喜夫を皮切りに、タレントとしての活躍も有名だが、中日でクローザーの先駆者となった現役後半の板東英二、クローザーでは南海にも佐藤道郎がいて、同時期のパ・リーグには剛速球で鳴らした阪急黄金時代の山口高志もいた。
広島で大田垣の後継者となったのが外木場義郎と津田恒実だ。外木場は完全試合を含む3度のノーヒットノーランを達成し、沢村のプロ野球記録に並んだ。病魔に倒れた津田も気迫のストレートで真っ向勝負を繰り広げ、“炎のストッパー”と呼ばれた伝説の投手だ。広島における津田に対する畏敬の念は、沢村に対する巨人のそれに勝るとも劣らない。
近年では、ロッテで足かけ16年にわたって「14」を着け続けた“投げる精密機械”小宮山悟。西武の石井貴やソフトバンクでクローザーを務めた馬原孝浩も快速球を武器にした右腕だ。左腕では近鉄の
阿波野秀幸や中日の今中慎二が球史に名を残している。
沢村の悲劇は繰り返してはならないが、「14」の投手が好投するたびに、その伝説は継承され、更新されていく。巨人のライバルでもある阪神ではベテラン左腕の能見篤史が息の長い活躍を続け、楽天ではエース右腕の則本昂大が三振の山を築いてファンを魅了している。まだまだこれからの若手も多い。「14」の伝説は現在進行形だ。
写真=BBM