長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 鉄でできていた頭?

優しさと美学にあふれていた岩本
ヘルメットなどなかった1940、50年代、死球がどこに当たってもまったく痛がらなかったのが、
岩本義行だ。怪力を生かし、構えた位置から、ほぼ無反動で長打を量産する神主打法で知られた強打者だった。
ずんぐりした体ながら足も速く、38歳で迎えた松竹時代の50年にはトリプルスリーも達成している。52年には長く日本最多記録だった24死球の記録も作った。
小さいころから腕っぷしが強く、体が頑丈にできていたのは確かだが、頭部に来てもほとんどよけず、痛がりもしなかったのだからすごい。
「あんちゃん(岩本のあだな)の頭は鉄でできているんじゃないか。ボールのほうがへこむらしいぞ」という話がまことしやかに言われたほどだ。
ただ、実は違う。
「痛いに決まっているよ。時には息が詰まるようなこともあった。ただ、みんなの前でいかにも痛そうに倒れたり、変な格好をしたりするのがイヤじゃった。それに死球を受けた投手を恨みはせん。狙ったわけでもないだろうし、当たった自分がヘタなんじゃ。ワシのヘタさを棚に上げて痛がるわけにはいかんでしょ」
優しさと美学からの強がりだった。
●岩本義行(いわもと・よしゆき)
1912年3月11日生まれ。
広島県出身。広陵中から明大を経て社会人で活躍後、38年に南海入団も開幕前に応召し、40年に復帰。戦後は49年に大陽で球界復帰。50年にはトリプルスリーを達成し、松竹の優勝に貢献。52年大洋に移籍し、53年限りで引退も56年東映に監督兼任で復帰。57年で現役を引退し、監督専任に。81年野球殿堂入り。2008年9月26日死去。通算成績856試合、859安打、123本塁打、487打点、140盗塁、打率.275。
写真=BBM