背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 野手は少数派
2017年オフ、日本ハムに入団した清宮幸太郎が着けることとなり、にわかに脚光を浴びた「21」。今までにない新たな選手像、という意図とのことだが、確かに、野手はプロ野球の契約第1号でもある
巨人の
三原脩ら少数派で、清宮が高校時代と同様にプロでも活躍すれば、まったく新しい強打のイメージを「21」に築くことになるだろう。
ただ、背番号の路線変更は日本ハムの“お家芸”。系譜としては日本ハムも含めて圧倒的に投手が多い背番号で、特にパ・リーグではエースたちが居並ぶ輝かしい投手ナンバーだ。
【12球団主な歴代背番号「21」】
巨人 三原脩、
高橋一三、
加藤初、
宮本和知、
吉川光夫☆
阪神 横山光次、
益山性旭、
遠山昭治、
関川浩一、
岩田稔☆
中日 山中巽、
松本幸行、
杉本正、チェン、
岡田俊哉☆
オリックス 森弘太郎、
西田稔、
今井雄太郎、
野田浩司、
西勇輝☆
ソフトバンク 川崎徳次、
柚木進、
杉浦忠、
金城基泰、
和田毅☆
日本ハム
土橋正幸、
高橋直樹、
西崎幸広、
武田久、清宮幸太郎☆(2018~)
ロッテ 西田孝之、
倉持明、
関清和、
平井光親、
内竜也☆
DeNA 鬼頭洋、
野村収、
野村弘(弘樹)、
吉見祐治、
今永昇太☆
西武 川崎徳次、
東尾修、
渡辺智男、
石井貴、
十亀剣☆
広島 米山光男(祐昭)、
竜憲一、
佐伯和司、
山根雅仁、
中崎翔太☆
ヤクルト 森滝義巳、
松村憲章、
鈴木康二朗、
伊藤智仁、
松岡健一☆
楽天 岩隈久志、
釜田佳直☆
(☆は現役)
右腕のパ、左腕のセ

西武・東尾修
パ・リーグが誇るエースの筆頭は、南海を2リーグ制となって初の日本一に導いた杉浦忠だろう。ソフトバンクの系譜では、その前後にもエース格の好投手が並ぶ。
「21」を最長の20年間も背負い続けたのは、低迷する西鉄から黄金期の西武まで投げ続けた東尾修だ。オリックスの系譜では初代の森弘太郎、DH制で唯一の完全試合を成し遂げた今井雄太郎、現役の西勇輝ら3投手がノーヒットノーランを達成。“お化けフォーク”でゲーム19奪三振をマークした野田浩司もいた。
近鉄で最後の「21」となった岩隈久志は、そのまま楽天の初代「21」となり、その後は海を渡って息の長い活躍を続けている。
多くの好投手が並ぶパ・リーグだが、左腕はソフトバンクで現役の和田毅ら少数派。一方のセ・リーグは、左のエースナンバーと言えるだろう。現役でも5球団に左腕が並び、中日の岡田俊哉、DeNAの今永昇太ら前途有望な若手も多い。
その系譜をさかのぼると、中日にはテンポのいい投球が持ち味だった松本幸行、DeNAには1998年の日本一に貢献した野村弘樹(弘)がいる。
例外はヤクルトで、現在まで続く右腕の系譜だが、完全試合の森滝義巳、打者の手元で沈むボールで凡打の山を築いた鈴木康二朗、「20」から“移籍”した伊藤智仁ら、他チームの左腕エースに見劣りしない好投手が並ぶ。
異色なのは巨人。V9の高橋一三、90年代には谷間の先発で活躍した宮本和知ら左腕エースもいたが、その間の15年、「21」で投げ続けたのが右腕の加藤初だ。右腕ではエースナンバー「18」を背負う前の
藤田元司、
堀内恒夫はプロ1年目が「21」で、かつてはエースの“出世番号”というイメージもあった。ちなみに、三原、藤田、堀内の3選手は、のちに監督にも“出世”している。
写真=BBM