
引退試合で始球式を行ったのは長嶋監督だった(後ろが西本)
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月21日だ。
心温まる手づくりのセレモニーだった。
1994年限りで20年の現役生活に幕を下ろした元
巨人・
西本聖投手の引退試合が1995年1月21日、巨人・多摩川グラウンドで行われた。
球団主催ではなく、有志主催という形で実現した引退試合。西本は所属した巨人、
中日、
オリックス、さらに母校・松山商高のかつてのチームメートをバックに、巨人同期入団の
定岡正二氏ら巨人OBチームと対戦した。
松山商高からドラフト外で巨人入団。20年間の通算成績は504試合165勝128敗17S、防御率3.20だった。93年、3球団目のオリックスを自由契約となった後、恩師である
長嶋茂雄監督の下でもう一度投げたいという思いから巨人のテストを受け、復帰。だが、ついに一度も一軍登板がなく引退を決意。功労者だけに引退試合も検討されたが、94年は最終戦まで優勝がもつれ込む、「10.8」のシーズン。その機会もなく、引退となっていた。
この日は長嶋監督も訪れ、まずは始球式。さらにゲームの最終回、7回表二死の場面では代打にも立ち、「西本VS長嶋」対決も実現。ボテボテの三塁内野安打で愛弟子の花道に彩りを添えた。試合は7回を西本が1人で投げ切り、「505試合目」を完封勝利で飾っている。
巨人復帰当時、「どうしてももう一度、一軍で勝って、長嶋監督と握手をしたい」と語っていた西本。公式戦ではかなわなかった夢をこの日の試合後に実現させた。
「(長嶋監督に)来ていただいただけじゃなく、打席も立って走ってもらった。いろいろな方がいろいろな形で引退されたけど、僕は最高だと思います」
涙を浮かべながら語った西本に長嶋監督は「体はそんなに大きくないし、素質も恵まれたほうじゃなかったが、不屈の闘志で実績を残した選手。昨季はなんとか一軍のマウンドに立たせてやりたかった。それが私の唯一の心残りです。でも、こうやって友人、知人が集まってのセレモニーというのは、限られた人だけ。今後の人生の大きな財産じゃないでしょうか」とねぎらった。
二軍時代、汗と泥にまみれた多摩川グラウンド。西本のラストゲームに、これほどふさわしい舞台はなかった。
写真=BBM