背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 金田の代名詞
通算400勝を筆頭に、数々のプロ野球記録を樹立した金田正一の背番号だ。高校を2年の夏に中退し、創設されたばかりの国鉄で1950年8月に一軍デビュー。65年に巨人へ移籍してV9の幕開けに貢献し、69年限りで現役を引退した。
「34」は巨人の永久欠番となり、金田は2度にわたって監督を務めた
ロッテでも「34」で指揮を執っている。
以来、多くのチームで左腕の背番号となったが、例外は皮肉にも国鉄の後継となる
ヤクルトで、金田が移籍した65年こそ欠番だったが、翌66年から
東条文博、
福富邦夫らの好打者が短期間ずつながらリレー。その後は左腕が続くも芽が出ず、84年に
高野光が新人ながら開幕投手を務めて脚光を浴びたが、高野は右腕だ。
21世紀に入ると外国人選手がコロコロと変わった。“冷遇”とも言えるが、見方を変えれば、同じ左腕にとって金田の後継者となることは、とてつもない重責なのかもしれない。2018年、その重荷を
ソフトバンクから移籍してきた
山田大樹が背負う。
【12球団主な歴代背番号「34」】
巨人
中村政美、
三浦方義、
義原武敏、
相羽欣厚、金田正一★
阪神 山根実、
田中昌宏、
仲田幸司、
星野伸之、
谷川昌希☆(2018〜)
中日 山本文哉、
村上義則、
小松辰雄、
山本昌広(山本昌)、
福敬登☆
オリックス 永田和弘、
森浩二、
本柳和也、
小林雅英、
吉田正尚☆
ソフトバンク
服部武夫、
三浦清弘、
吉武真太郎、山田大樹、
椎野新☆(2018〜)
日本ハム 丸山公巳、
金田留広、
岡部憲章、
吉川光夫、
堀瑞輝☆
ロッテ
八田正、
池辺巌、金田正一(監督)、
川井貴志、
土肥星也☆
DeNA 伊藤勲、
米田慶三郎、
福盛和男、
篠原貴行、
平田真吾☆
西武 立花義家、
橋本武広、
帆足和幸、
長田秀一郎、
佐野泰雄☆
広島 苑田敏彦(聡彦)、
高橋里志、
川口和久、
嶋重宣、
高橋昂也☆
ヤクルト 金田正一、
三橋豊夫、
黒坂幸夫、高野光、山田大樹☆(2018〜)
楽天 小池秀郎、
金田政彦、
渡邉恒樹、
武藤好貴、
山崎剛☆(2018〜)
(☆は現役、★は永久欠番)
山本昌のインパクト

中日・山本昌
他のチームでは左腕がのびのびと活躍している印象だ。代表格は荒れ球を武器に広島の黄金時代を支えた川口和久。その後継者となった嶋重宣も左腕だったが、打者に転向して成功を収めた。
広島は右の好投手も多く、川口の前任者は77年に20勝を挙げて最多勝に輝いた高橋里志。
前田健太もルーキーイヤーの07年だけ着けていた。金田正一の末弟でもある金田留広も、東映で兄と同じ「34」でキャリアをスタートさせた右腕だ。プロ1年目の69年にはオールスターで打席に入った兄と「34」の兄弟対決も実現している。
着けた期間では、南海と太平洋で背負い続けた右腕の三浦清弘が19年、近鉄と大洋で左腕の
村田辰美が17年、ほぼ同時期に阪神とロッテで同じく左腕の仲田幸司も10年にわたって着けていたが、金田正一の20年、監督時代も含めた28年には届かず。
それすらも圧倒するのが中日の山本昌(山本昌広)だ。入団した84年にエースだった小松辰雄から継承、中日で左腕のエースナンバーでもある「21」への変更を打診されたこともあったが承諾せず、15年に現役を引退するまで「34」を背負い続けた。その期間は31年。数々の最年長記録も樹立した。長く金田が君臨してきた「34」の牙城に斬り込んで、新たなインパクトを打ち立てた左の鉄腕だ。
写真=BBM