背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 80年代中盤の大爆発
忌み数が並んで縁起が悪い印象の「44」だが、普及は「42」よりも早い。ただ、「44」の選手は短命に終わることが多く、しだいに外国人選手へ割り振られるようになる。
エポックは1980年代だ。84年に阪急の
ブーマーが三冠王に輝いて最後の優勝に貢献、翌85年には阪神のバースが三冠王となって2リーグ制では初となる日本一の原動力に。バースは続く86年にも三冠王となり、3年連続で助っ人三冠王の背中に「44」が輝いた。
バースの後継者は1年だけで帰国してメジャーでブレークしたフィルダー。さかのぼると“赤鬼”
ブリーデンがいる。21世紀には
T.ウッズが横浜と
中日で「44」を着けて3度の本塁打王に。
日本ハムも古くから外国人打者が多いが、大砲というよりはクルーズやブリューワらの中距離打者タイプだ。
【12球団主な歴代背番号「44」】
巨人 関本四十四、
山本功児、
緒方耕一、
大道典嘉、
カミネロ☆
阪神
辻恭彦、ブリーデン、バース、フィルダー、
梅野隆太郎☆
中日
山部精治、
金山仙吉(卓嗣)、
神山一義、T.ウッズ、モヤ☆(2018~)
オリックス 高井保弘、ブーマー、
高橋智、
鈴木郁洋、
園部聡☆
ソフトバンク 定岡智秋、
門田博光、
岸川勝也、
柳田悠岐、
バンデンハーク☆
日本ハム ラドラ、クルーズ、ブリューワ、
上田佳範、
森山恵佑☆
ロッテ 池田啓一、山本功児、
島田茂、
吉鶴憲治、
井上晴哉☆
DeNA 幸田優、
及川宣士、
加藤博一、ブラッグス、
佐野恵太☆
西武 荻野一雄、
大田卓司、
黒原祐二、
清水雅治、
高山久 広島 金田留広、
片岡光宏、
福地和広(寿樹)、
迎祐一郎、
松山竜平☆
ヤクルト 中村国昭、ハウエル、
青柳進、
松井光介、
岩橋慶侍☆
楽天 デイモン、
中谷仁、テレーロ、
斎藤隆、
足立祐一☆
(☆は現役)
対照的な俊足選手も

大洋・加藤博一
80年代にブーマーやバースの向こうを張った日本人選手の「44」が山本功児。巨人では代打が多かったが、ベテランとなって移籍したロッテでは主軸に。巨人で山本の系譜をさかのぼると、異色なのが投手の関本四十四で、名前にあやかって着けたもの。ただ、すぐに太平洋へ移籍となって期間は1年だけに終わった。投手は少数派だが、近年ではメジャーでも活躍した楽天の斎藤隆も印象深い。
現役ではソフトバンクで来日から本拠地14連勝を挙げたバンデンハークも投手だが、もともとは強打者の系譜で、「44」を本塁打数の目標とした門田博光から“門田2世”岸川勝也を経て柳田悠岐の出世番号に。50年に
岡本伊三美が着けていた記録もある。
強打の助っ人と対極にいるような韋駄天の系譜もある。元祖と言えるのが大洋の加藤博一だろう。ただ、それまでの「22」を新人に与えるための変更だったことで最初は激怒。それでも「よいよい」と読み換える天性のポジティブさを発揮、盗塁数の目標に設定すると、変更から2年目の85年、“スーパーカートリオ”の二番打者となって“連結車”として機能、目標を超える自己最多の48盗塁をマークする。3チーム、7つの背番号を渡り歩いた加藤のラストを飾ったのが「44」だった。
その系譜を受け継いだのが同じスイッチヒッターで2度の盗塁王に輝いた巨人の緒方耕一。縁起の悪い番号に家族も困惑したというが、「2」への変更も断り、一貫して「44」を背負い続けて現役を引退している。
写真=BBM