長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 相手の裏をかく投球が真骨頂

フォークもさまざまな変化で投げ分けた
中日での若手時代から理論派として一目置かれた
牛島和彦。新人時代、投手コーチの
稲尾和久に「9回裏二死満塁、フルカウントで何を投げるか」と聞かれ、ほかの選手が、ストレートなど自分の得意な球を答えるなかで、牛島だけが「分かりません。どのような経緯でフルカウントになったかで違うから」と答えたという逸話もある。
快速球があるわけでもなく、武器はクレバーな投球術とフォーク。打者心理を読みながら、その裏をかく投球が真骨頂だった。
フォークに関しては、177センチと投手としては長身でもなく、指も長いわけではないから、スプリット系で落差があまりないものと考える人が多いだろう。しかし、実は違う。もちろん、スプリット系の球もあったが、落差の大きな、いわゆる本格的なフォークもしっかり投げた。
その秘密は、人さし指と中指の間が、関節が外れたようになって大きく開くからだ。これは球をはさみながらストレッチをしている際、突然、できるようになったという。落差を意識するときは、この2本の指だけではさみ、親指は添えないが、逆に親指をつける場所や力加減で回転をコントロールし、変化を加えることもあった。
牛島和彦(うしじま・かずひこ)
1961年4月13日生まれ。大阪府出身。浪商高からドラフト1位で80年に中日へ入団した。82年に抑えとして17セーブを挙げて優勝に貢献。84年にはリーグ最多の29セーブをマーク。87年には
ロッテへ移籍、26セーブポイントで最優秀救援投手に。以降2年連続リーグ最多セーブ。89年は先発に回って12勝を挙げた。93年限りで現役引退。2005年から2年間は横浜の監督も。主なタイトルは最優秀救援投手1回。通算成績395試合登板、53勝64敗126セーブ、防御率3.26。
写真=BBM