
フルスイングを特集するベースボールマガジン
2月5日発売(一部地域は除く)の『ベースボールマガジン』別冊早春号では、「フルスイングの美学」が大特集されている。
古今東西、豪快なスイングを身上とするバッターをフィーチャー。フルスイングと言えば、往年の選手の中で
池山隆寛、
中村紀洋、
小笠原道大の3人の顏を思い浮かべる人が多いだろう。同誌では、池山、小笠原両氏にそれぞれインタビュー、現役時代の強烈なスイングに関する持論を展開してもらった。また、中村紀洋についても綿密な取材に基づいたフルスイング論が存分に語られている。
フルスイングというのは、チームによって色合い、姿勢が随分違う。歴史的にフルスイングの意識が浸透している球団と、そうではない球団。監督・コーチなど指導者の野球観、あるいは本拠地球場の大きさに左右される部分もあるのだろう。
現在の12球団を見渡すと、
西武ライオンズにはド派手に振り回していくイメージが強い。おかわり君こと
中村剛也を筆頭に、
浅村栄斗、
山川穂高、
森友哉などフルスイングの猛者たちが粒揃いだ。
西武のルーツを探れば、西鉄ライオンズへと行き着く。かつて
三原脩監督が率い、野武士野球と称された同球団は、
中西太氏らを輩出。ショート頭上のライナー性の当たりをそのままスタンドインさせたという伝説の持ち主、中西のDNAがこの球団にどこかで継承されていると思うと面白い。三原野球の神髄は直系の西武のみならず、各球団に拡散された。いまはなき近鉄バファローズのいてまえ打線も、89年に優勝を達成したときの首脳陣は
仰木彬監督に中西太コーチと、その原点はこちらも西鉄コンビだ。
ほかにも、中西氏が
ヤクルトコーチ時代に「何苦楚魂」を注入され、覚醒し長距離砲に転身を遂げた
岩村明憲など、中西氏がフルスイング文化に与えた影響は小さくない。
これは外国人の話になるが、2005年ごろだったか、当時西武に在籍していた
アレックス・カブレラと
ホセ・フェルナンデスによるフリーバッティングの競演には、度肝を抜かれた。インボイスSEIBUドーム(現メットライフドーム)で2つのケージから強烈な打球が次から次へとセンターめがけて放たれていった。かたや02年に当時の日本記録だった55本塁打を放ったカブレラ、かたや行く先々でホームランを量産することになるフェルナンデス。両雄がまるで競うように打球をピンポン玉のように飛ばしまくるのだから、その図は圧巻としか言いようがなかった。
08年の西武の日本一に貢献した主力には
中島裕之(現
オリックス)がいた。右方向への打球が印象的な打者だが、中島はアウトコースのボールに対しても流すのではなく引っ張る感覚で振り切るのだと、ある番組で語っていたことがあった。中島によると、ライトをセンターだと思って体の中の角度をずらして引っ張るのだという。
そして、今号では、昨年8月に「おかわり二世」として一躍ブレイクを果たした山川にインタビュー。話を聞いてみて印象的だったのは、山川のフルスイングは何も考えずに振り回しているわけではないということだ。確固とした根拠に基づいたものだった。
「僕は(体勢を)崩されたときにこそフルスイングをするんです」
プロ野球選手の中には、企業秘密を重視するあまり、腹を割って話さない選手も中にはいるかもしれないが、山川は違った。自らの本音を素直に語ってくれた。本音ほど読者、引いてはプロ野球ファンに伝わるものがない。
そんな山川のフルスイング論が『ベースボールマガジン』別冊早春号で6ページにわたって掲載。ライオンズファンならずともご覧ください。
文=佐藤正行(ベースボールマガジン編集長) 写真=BBM