長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 超がつく、凝り性ゆえに

打撃で常に試行錯誤していた竹之内
イチロー以前に“振り子打法”を取り入れ、極端なオープンスタンスや、体をホームベースにかぶせるように構えたこともある。何種類のフォームがあったか、だれも覚えていないほど、頻繁に打撃フォームを変えたのが
竹之内雅史(西鉄ほか)だ。
見た目はごつく、武骨な印象があるが(実際、かなり負けん気が強い)、実は超がつく、凝り性。いつもどんなスイングがベストか試行錯誤し、バットを振り続けた。
「毎晩バットを持って、ああでもない、こうでもないとやってきた。そのなかで発見があればすぐ試した。それだけ真剣だったからフォームも変わったんだ。それこそ毎日のように変わった時期もあるよ」
竹之内のもう一つの特徴は、一時、日本最多記録でもあった通算166死球だ。さすがに頭はよけたが、体の頑丈さに自信があったこともあり、首から下なら当たっても平気と割り切っていた。南海・
野村克也捕手から「特攻隊、また当たりに来たか」と言われ、「うるせえ、おっさん」とすごんだこともあったという。
しかし、最後は81年に
ヤクルト・
松岡弘から右手に死球を受け、骨折(
阪神時代)。握力が落ちたことで、翌82年限りで引退した。
竹之内雅史(たけのうち・まさし)
1945年3月15日生まれ。神奈川県出身。鎌倉学園高から日通浦和を経てドラフト3位で68年西鉄入団(のち太平洋、クラウン)。夏にはレギュラーに定着し、77年には26本塁打をマーク。79年阪神に移籍し82年限りで現役引退。通算死球166はながく日本記録だった。通算成績1371試合、1085安打、216本塁打、606打点、63盗塁、打率.249。
写真=BBM