背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 投打の出世番号も……
いぶし銀タイプの名選手が並ぶ「63」。
DeNAは好例で、投手では
戸叶尚、打者では高木好一、
梶谷隆幸がほかの背番号へと飛躍していった。
セ・リーグでは
中日が
堂上剛裕、直倫の兄弟リレーという珍しいケースだが、広島は
丸佳浩から
田中広輔が継承して、ともに出世番号に。現在は注目株の西川龍馬が背負う。投手では
巨人の2代目に左腕の
益田昭雄がいて、のちに「17」となって1966年の日本シリーズ第6戦で胴上げ投手となった。
一方のパ・リーグでは
ロッテに
小野晋吾。のちに
村田兆治の「29」とニックネームを継承して“サンデー晋吾”と呼ばれた右腕だ。
オリックスには現在も「21」で活躍を続ける
西勇輝がいる。
ソフトバンクの系譜には打者で“平成の韋駄天”
村松有人。ダイエー時代、まだ芽が出ていない2年目までの姿だ。
逆に、球史に残る好投手ながら、指導者として「63」を着けて“アンラッキーナンバー”となったのが、通算215勝を挙げた“フォークボールの神様”
杉下茂。
阪神と中日で「63」の監督となるも、どちらも1年目のシーズン途中に休養へと追い込まれている。
【12球団主な歴代背番号「63」】
巨人 内田昌三、益田昭雄、
会田有志、
田原誠次、
田中俊太☆(2018〜)
阪神 杉下茂(監督ほか)、
新庄剛志、
狩野恵輔、
加藤康介、
板山祐太郎☆
中日
近藤貞雄(コーチ)、杉下茂(監督)、
徳武定之、堂上剛裕、
堂上直倫☆
オリックス
中村大成、
関口清治(コーチ)、
山本栄二、西勇輝、
山崎颯一郎☆
ソフトバンク
松本勇(兼任コーチほか)、村松有人、誠(
佐藤誠)、
藤田宗一、
笠原大芽☆
日本ハム 石原照夫(コーチ)、
渡部龍一、SHINJO、
上沢直之、
北浦竜次☆(2018〜)
ロッテ
山田潔(コーチ)、徳武定之(二軍監督ほか)、小野晋吾、
青松敬鎔、
種市篤暉☆
DeNA
柴田信夫、高木好一、戸叶尚、梶谷隆幸、
関根大気☆
西武 河合保彦(コーチ)、
藤野正剛、
垣内哲也、ポール、
綱島龍生☆(2018〜)
広島
藤村隆男(コーチ)、
森永勝也(監督代行ほか)丸佳浩、田中広輔、西川龍馬☆
ヤクルト 石岡康三(コーチ)、
加藤博人、
坂元弥太郎、
増渕竜義、
井野卓☆
楽天 牧田明久、
北川倫太郎、
小山雄輝☆
(☆は現役)
異彩を放つトリックスター
![](https://cdn.findfriends.jp/img.sp.baseball/show_img.php?id=8054&contents_id=p_page_097)
阪神・新庄剛志
「63」の系譜に並ぶ多くの名選手たちと完全にタイプが異なり、それでいて筆頭格と言えるのが新庄剛志(SHINJO)だ。ドラフト5位という下位指名で90年に阪神へ。与えられたのは「63」という大きな背番号だった。1年目は一軍出場なし。二軍でも打率.074と精彩がなかった。
2年目の91年に一軍デビュー、初打席で初安打を放ち、初打点もマークしたが、13試合の出場に終わる。そして92年、初スタメンで初打席の初球を初本塁打に。そのまま一軍に定着して、
亀山努と“亀新フィーバー”を巻き起こすと、翌94年からは「5」に。その後も舞台はメジャー、日本ハムと移ったが、“新庄劇場”は続く。
シーズン序盤に引退を宣言した2006年、日本ハムは北海道へ移転して初の日本一になったが、9月27日のソフトバンク戦(札幌ドーム)が最後の公式戦に。渡部龍一の背番号を1日だけ譲り受けての引退セレモニー。“新庄劇場”のラストを飾ったのも「63」だった。ただし、プレーオフ以降は何事もなかったかのように再び「1」でプレー。分かりやすい美談で終わらないのも、この男らしい。
写真=BBM