プロ野球の歴史を彩った伝説のプレーヤーの打撃フォーム、投球フォームを連続写真とともに紹介。今回は巨人の四番として通算382本塁打を放った原辰徳だ 1年目から22本塁打をマーク

巨人・原辰徳
長嶋茂雄、
王貞治の後の巨人を背負う存在として四番に座った原辰徳。ルーキーイヤーの1981年には22本塁打を放ち、期待どおりに新人王に輝いた。3年目には103打点を挙げ、打点王とMVPも奪取。以後も四番として、ほぼ30本以上の本塁打と打率3割前後をキープした。
ただ、常に“巨人の四番”という重圧に苦しみ、バッシングにさらされたことも少なくない。86年には
広島戦で
津田恒美の球をファウルした際、左手首の有こう骨を骨折。以後、自身が理想にしていたグリップができなくなった。
週刊ベースボール誌上で“打撃の神様”
川上哲治がほめたように自然体の構えは全体にゆとりが感じられ、グリップの位置、顔の向きと、ほぼ理想的だ。この後、左足の引きつけは小さく、バックスイングも同じように小さい。
左足を高く上げた時期もあったが、この写真のときはすり足。ステップしてもグリップを残し、しっかりタメを作っている。
軸足を回してから、腰も回転させ、腕が最後という基本どおりのスイングで、最後のフォローも腕がしっかり伸び、力強い。
●原辰徳(はら・たつのり)
1958年7月22日生まれ。神奈川県出身。右投右打。東海大相模高、東海大を経て1981年、ドラフト1位で巨人団。95年限りで現役引退。[主なタイトル]新人王(81年)、MVP(83年)、打点王(83年)。[通算成績]1697試合、1675安打、382本塁打、1093打点、82盗塁、打率.279。