今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『ライオンズを襲う黒い霧』

表紙は左から巨人・長嶋茂雄、SFジャイアンツのウィリー・メイズ
今回は『1960年11月16日号』。定価は30円だ。グラビアは来日したSFジャイアンツとの日米野球が中心。表紙も巨人・長嶋茂雄とウィリー・メイズの2ショットである。メイズはショートインタビューで日本球界の守備について、以下のように語っている。
「内野の守備は大リーグ級ですが、外野の守備は確かに悪いです。特にシングル・ヒットで二塁から走者を簡単に生還させることと、肩の強い人は捕球までの動作が鈍く、肩の弱い人は速いけど、遠投が利かないとチグハグですね。もっと打球に対して突っ込まないと進歩はないですよ」
当時のメジャーはすごかった。ただ、別に反論をする気はないのだが、
クロマティに言いたいセリフでもある。
本文巻頭は『
三原脩スカウト戦法』。大洋・三原監督が自ら陣頭指揮を取り、新人獲得に動き回っているという話だ。
その三原が抜けた西鉄には『ライオンズを襲う黒い霧』という記事があった。あの「黒い霧事件」とは関係なく、単に暗雲程度の意味で、主力である
中西太、
豊田泰光の移籍話についてだった。西社長は異例の会見を開き、「中西、豊田、稲尾(和久)、高倉(照幸)の4人は絶対に手放しません。もしトレードにでも出したら私は博多の街は歩けません。ファンに殺されますよ」と笑い話にしていた。
『日米野球全日本のダッグアウト往来』では、全日本の
鶴岡一人監督(南海)、
金田正一(国鉄)の漫才のようなやり取りがあった。
まず鶴岡監督がカネやんに。
「しっかり投げてな」
「任しとき」
「任しときはええが、スローボールはあかんぜ」
「はあはあ、分かりました」
「分かっただけではあかん。実行せにゃ」
「実行します」
「ええか、クイック、クイック、スローや」
「そうします」
「くどいようだが、スロー、スロー、スローは絶対あかん」
「アイ・アンダースタンド」
「OK、OKナイスボーイ、金田」
鶴岡監督は
スタンカと片言の英語で会話していたらしい。
『ナゾに包まれた長嶋の脚と藤田の肩』という記事もあった。巨人の投打の軸、
藤田元司の肩と長嶋の脚だ。長嶋はシーズン中に痛めた右脚の故障が悪化し、日米野球も途中で辞退していた。
その治療法がユニーク(?)だ。福岡の古賀という先生の塗り薬治療なのだが、まず、直径5ミリくらいの円状に薬を塗り、その後、上下左右に碁盤の目にように塗るらしい。
「薬をつけると体が熱くなってくる。とにかく効きます」(長嶋)
ただ、塗って30分はかゆくてたまらないらしく、それを我慢するのが大変と笑っていた。
一方の藤田は深刻。湯河原の旅館で温泉治療も、なかなか回復しないようだった。
以下は宣伝です。
現在、週刊ベースボール60周年企画として「週べでつづる12球団史」を制作中。第1弾は3月14日発売予定の巨人編です。本日、配本
(雑誌が会社に届く)されましたが、結構、気に入ってます。ご期待を。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM