プロ野球の歴史を彩った伝説のプレーヤーの打撃フォーム、投球フォームを連続写真とともに紹介。今回は歴代2位の通算657本塁打を放った野村克也だ 頭を使ったバッティング

南海・野村克也
抜群のインサイドワークで史上最高の捕手と言われ、兼任監督、さらに専任監督時代に多くの投手を再生させた。1961年からの8年連続ホームラン王、62年からの6年連続打点王、65年、戦後初の三冠王など、打者としても超一流の男だった。
若手時代はストレートに強いが、まったくカーブを打てず、克服するためにデータの分析と投手のクセの観察を始めた。これに捕手としての打者の分析も加わり、より知識が深まったという。のちには「ヤマを張らせたら、ワシの右に出る者はいない」と自負していた。
当初は長打で頭角を現し、この写真より大きな構えだったが、「打率が上がらないと給料も上がらん」と徐々にコンパクトに。このときもバットを短く持ち、構えは小さい。そこから小さくステップしてスイングに入っていくが、頭の位置が動いておらず、インパクトの後も体が前にスウェーしたり、多くの長距離打者のように反るような角度にもならず、最後まで一本の軸で回っている。
これは打率への意識に加え、球場が狭かった時代に「スタンドぎりぎりでもホームランはホームラン」と割り切っていたからだろう。
●野村克也(のむら・かつや)
1935年6月29日生まれ。京都府出身。右投右打。峰山高から54年にテスト生として南海入団。78年に
ロッテ、79年に
西武へ移り、80年限りで現役引退。[主なタイトル]首位打者(65年)、本塁打王(57、61、62、63、64、65、66、67、68年)、打点王(62、63、64、65、66、67、72年)。[通算成績]3017試合、2901安打、657本塁打、1988打点、117盗塁、打率.277。
写真=BBM