プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。 戦局悪化の時代に生まれた二塁手たち
1941年12月に日本の連合艦隊がハワイの真珠湾を奇襲して、太平洋戦争が勃発。日本は暗い時代へと沈んでいったが、メジャーではジョー・ディマジオ(
ヤンキース)が56試合連続安打、テッド・ウィリアムズ(レッドソックス)が最後の4割打者となるなど、偉大な記録が生まれた。
41年生まれの世代も主砲は外国人選手だ。四番打者となりそうなのが
クラレンス・ジョーンズで、近鉄で2度の本塁打王となった大砲。三振が多かったが、この世代では屈指の破壊力を誇る。ここでは指名打者だが、一塁守備は安定感があり、73年にはダイヤモンド・グラブも受賞している。
【1941年生まれのベストナイン】(1941年4月2日~42年4月1日生まれ)
投手
渡辺秀武(
巨人ほか)
捕手
久保祥次(
広島ほか)
一塁手
千原陽三郎(中日)
二塁手 高木守道(中日)
三塁手
朝井茂治(
阪神ほか)
遊撃手
武上四郎(
ヤクルト)
外野手
末次利光(巨人)
北川公一(近鉄)
石黒和弘(
ロッテ)
指名打者
ジョーンズ(近鉄ほか)
攻守走の核は二塁手の高木守道だ。打っては通算2000安打に到達し、走ってはリードオフマンとして3度の盗塁王。卓越しているのは二塁守備で、「普通ではアウトにできないものを、どうアウトにするか」と研究と練習を重ねた。一、二塁間の真ん中からでも確実に遊撃手へボールを送るバックトスは高木の代名詞でもある。
この世代は二塁手が多いのが大きな特徴だ。闘志あふれるプレーで“ケンカ四郎”と呼ばれ、サン
ケイからヤクルトにかけて正二塁手を務めたのが67年の新人王でもある武上四郎。東京からロッテにかけて二塁を中心にった石黒和弘もいる。
ただ、高木は歴代最高との呼び声も高い名二塁手。わずかに遊撃の経験もある武上を遊撃手に置き、二遊間が本職ながら現役後半は外野も多かった石黒を外野へ回すコンバートとなった。
内野は中日の正一塁手として高木と一、二塁間を守った千原陽三郎が一塁、阪神でVイヤーとなった64年の正三塁手だった朝井茂治(朝樹一義世)が三塁と本職のまま。安定感は申し分ないと言えるだろう。外野にいる北川公一は低迷する近鉄を正右翼手として支えた左打者で、慶大で石黒と同期。石黒のコンバートで外野に“慶大コンビ”が成立した。打撃よりも守備のコンビプレーに期待したい。
投打のV9戦士

巨人・末次利光
バットにも期待が高まる外野手が末次利光(民夫)だ。V9巨人の正右翼手で、
王貞治、
長嶋茂雄に続く五番打者。76年の逆転サヨナラ満塁本塁打も記憶に残る。
投手陣の軸もV9巨人からで、その巨人を皮切りに5球団で活躍した“与死球王”渡辺秀武。通算144死球は当時のプロ野球記録だった。そんな渡辺と68年に20勝の“酒仙投手”
石戸四六(ヤクルト)、64年にノーヒットノーランを達成した左腕の
井上善夫(西鉄ほか)が三本柱だ。これに続くのがスライダーを武器に60年代終盤のヤクルトを支えた右腕の
石岡康三。初の東大出身プロ野球選手でもある
新治伸治(大洋)もいる。
彼らのボールを受けるのは久保祥次。打撃には意外性があり、通算では安打10本のうち1本ほどの割合で本塁打を放っている。
とは言え、打線は迫力に欠ける印象。破壊力があるのは一番の高木と四番のジョーンズ、やはりここでも五番を打ってもらいたい末次ぐらいだ。犠打などの小技にも長けていた武上の存在が勝負の分かれ目となりそうだ。
写真=BBM