27年ぶりの開幕8連勝と好スタートを切った西武。前回の1991年は近鉄とデッドヒートを繰り広げながら頂点に輝いた。森祇晶監督の下、秋山幸二、清原和博、デストラーデ、郭泰源らが躍動したシーズンを振り返ってみよう。 デストラーデがド派手な祝砲!

1991年10月3日、日本ハムを破り、本拠地・西武球場でリーグV。森監督が胴上げされた
沈みかけた秋の夕陽に照らされ、空が赤紫色に輝いていた。
激闘の余熱が残る西武球場で、森祇晶監督が列の最後尾を歩く。リーグ優勝のペナントを持っての行進だ。大抵、先頭は監督、コーチだが、西武は当たり前のように選手たちが一番前を行く。
10月3日、マジック1で迎えた日本ハム戦。マウンドに立った日本ハムのエース、
西崎幸広に西武打線は初回から猛攻を仕掛けた。連打で1点、さらにデストラーデが左打席で3ラン、2回にも二番手・
西村基史から右打席でグランドスラム。これで9対0と、早くも勝敗は決した。
デストラーデが、いつものガッツポーズでほえると、5万人で超満員となった球場が一気に沸騰点に達する。満塁弾を含むスイッチ本塁打は史上初でもある。“カリブの怪人”と言われたデストラーデの本領発揮だ。残り6試合、124試合目に13対1の快勝で優勝。2年連続8度目、森監督にとっては就任6年目で5度目のVである。
「勝っても勝っても差がつかない時期がありました。過去6年で一番苦しい戦いでしたね。選手が素晴らしい精神力を見せてくれました。みんな成長したと思います」
いつものように穏やかな口調と笑顔で森監督が語る。
過去6年、88年「10.19」のように、もっともつれたシーズンはあった。しかし、シーズンを通して、これほど激しくひとつのチームとぶつかり合ったことはなかった。
打倒西武へ牙をむいたのは、
仰木彬監督、そして
野茂英雄がいる近鉄。まさに死闘だった。
すさまじい開幕ダッシュで早々に独走態勢

開幕戦で清原が史上初の2年連続2本塁打を放った
90年に独走で優勝を飾った西武は、この年も開幕からずば抜けた強さを見せ、8連勝。しかも1試合平均8.6点の猛打で、あるスポーツ紙は「寒パ襲来。早くも西武が独走態勢!」と書き立てた。
打線の主役は秋山幸二、開幕戦で、史上初2年連続2本塁打を放った清原和博、デストラーデの“AKD”砲だ。史上最強の破壊力とも言われた3人だけではない。一番の
辻発彦から始まる打線は足、小技も絡めながら、きめ細かい野球で大量点につなげていった。
投手陣では、ともに開幕から5連勝の
工藤公康、郭泰源、さらに
渡辺智男の3人が先発の軸となり、
鈴木哲、
石井丈裕が谷間に入った。左の横手投げのワンポイント・
小田真也、抑えの2枚・
鹿取義隆、
潮崎哲也も好調を維持。特に工藤は開幕からの5勝がすべて完投で、その間、防御率1.00。4月の月間MVPになっている。
シーズンを通してチーム防御率3.22と好調を維持した投手陣のなかで、一人蚊帳の外だったのが
渡辺久信。前年18勝で最多勝を獲得し、開幕投手として勝ち星を挙げながら、2勝目が6月2日。最終的には7勝10敗と負け越している。不振が続き、時にイライラを爆発させることもあった。
打では四番・清原が急失速する。開幕8連勝中はよく打ったが、その8連勝目となる4月16日に2本塁打を放って以来、本塁打が出なくなった。大いに悩み、5月半ばには、自ら森監督に「四番を外してください」と訴えたこともある。6月4日の近鉄戦で野茂から152打席ぶりの一発を放ったが、その後も振るわず、7月6日にはスタメン落ち。このときは代わりに
森博幸が「四番・一塁」に入って活躍した。四番復帰後も本塁打は伸びなかったが、その分、つなぎの意識を感じさせ、80四球を選び、打率は.270まで上げている。
前半戦、清原の不振をカバーしたのは“ミスターメイ(5月)”こと、秋山の爆発だった。得意の5月に12本塁打、打率.363。しかし、7月にオールスターで自打球を右目の上に当て、離脱。以後も故障が多く、116試合の出場にとどまったが、フル出場なら、2年連続2冠を手にしたデストラーデの牙城を崩し、本塁打、打点のどちらかのタイトルを手にしていたかもしれない。
5月終了時の勝率は.718、2位の近鉄には一時9.5ゲーム差をつけた。独走ムードにかげりが見え始めたのが、6月。それは西武の失速とともに、近鉄の逆襲が始まったことを意味していた。
意地と意地の激突。近鉄に連敗し、ついに首位陥落

近鉄戦で郭の好投が光った
6月14日から2位・近鉄との3連戦。西武は3連敗と調子を落としていた。初戦は3対4と逆転負け。3回にはデストラーデが完全にアウトのタイミングで、捕手の
光山英和にヒジ打ちしながらホームに突進し、大乱闘になっている。残る2試合も敗れ、連敗は6となった。近鉄とのゲーム差は2.5まで縮まる。仰木監督は「3タテを食らうのが、一番監督はきついんや。どこかで西武にやったろうと思っていた。決してかなわん相手じゃないから、ほかのチームも同じようにやってほしいね」と、“西武包囲網”を呼びかけた。
さらに1差まで縮められ、7月16、17日にも再び直接対決があった。初戦、2対2の6回裏、マウンドに上がったのは野茂だった。この年、初のリリーフ登板でもあったが、気迫あふれるピッチングで以後を0点に抑え、勝ち投手に。「どこから投げるのも一緒です」と淡々と振り返り、仰木監督は「いつかやってみたかったんだよ」と言ってニヤリと笑った。これで西武は同率首位に並ばれてしまう。
続く17日も熱戦となる。9回裏、西武が1対2と1点ビハインドで、再び近鉄のマウンドに上がったのが野茂だ。仰木監督も連投に迷いはあったが、ブルペンの
神部年男コーチから「野茂の球がうなりを上げています!」と連絡があり、決断した。野茂は“野茂キラー”とも言われた先頭の辻にライト前ヒットを許すも、以後を抑え、プロ初セーブ。投じた18球はすべてストレートだった。まさに力でねじ伏せた圧巻のピッチング。西武は前年から数え、452日ぶりの首位転落となる。
抜きつ抜かれつの展開が続き、迎えた8月20日からの3連戦。今度は2位となった西武が近鉄に挑み、初戦は近鉄が勝利。21日は雨で中止となり、22日に行われた2戦目、一気に引き離したかった近鉄の前に立ちはだかったのが郭だ。“近鉄キラー”の異名どおり、要所を締めるピッチングで1失点完投、3対1と西武が勝利を飾った。
しかし、森監督は「勝つべきゲームに勝っただけ。しばらく辛抱だね」と、ほとんど笑顔もなく、表情を引き締めた。
総力戦の9月。勝敗を分けたのはワキ役たちの活躍

森監督がMVPに挙げたのは辻だった
最大の天王山と言われたのが、西武が近鉄に1.5ゲーム差をつけられていた9月6日からの“藤井寺決戦”だ。両者の対決は10勝10敗とまったくの五分。近鉄はこの3連戦を含め、13連戦となり、さすがに疲労の色を隠せなかったが、この10試合で8勝2敗と、それを吹き飛ばす勢いもあった。
初戦、1球が明暗を分けた。両チーム0対0で迎えた7回表だった。近鉄先発・
高柳出己の92球目、デストラーデは高めに外れたボール球をバックスクリーン横に特大の2ラン。その後、
平野謙の走者一掃の三塁打もあり、3点を加え、勝負を決めた。郭は完封。近鉄相手にシーズン6勝目。西武は2厘差ながら21日ぶりで首位に立った。
ただ、仰木監督にしてみれば、これも想定内。苦手の郭が先発ということもあり、一番信頼できる2本柱、
小野和義、野茂を温存しての高柳先発だった。
森、仰木監督の腹の探り合いは、まるで詰め将棋のようでもあった。2戦目、西武先発は右の石井と見られ、先発投手同様、一番先に練習をあがったが、フタを開けてみたら左腕の工藤。仰木監督は「7割が石井だが、工藤も3割ある」と読み、完全に予想していなかったわけではなかったが、工藤は左肩とヒジに故障を抱え、開幕時の安定感はなかった。さらに、この年、近鉄戦の登板はなし。“奇襲”であったことは間違いない。
工藤はそのヒジ痛が出て6回を投げて降板したが、そこまで2失点。終盤、野茂がブルペンに入るシーンもあったが、秋山の決勝アーチもあり、出番はなく、西武が連勝を飾った。それでも試合後、仰木監督は自ら先発を予告し、「明日はバファローズデー。野茂がやってくれるでしょう」と本心は分からないが、笑顔で言った。
翌日、13連戦の最終日に近鉄は異例の試合前練習なし、試合1時間前集合の指示をし、気分転換を図った。しかし、満を持して挑んだ野茂の好投で1対3のままで進んだ8回、代打・森が「一生忘れないと思います」と興奮した逆転3ランを放つ。4対3の勝利で、西武はマジック「17」を点灯させた。
さらに9月21日からの最後の3連戦。西武は直前に敗れ、マジックが消えていた。1.5差で追う近鉄先発は、またも野茂。まさに背水の陣で挑んだが、気負いもあったのか2回、辻がフォークをうまくすくい上げ、先制の二塁打。石毛のスクイズもあり、大技、小技を織り交ぜ、野茂を完全攻略。8対1で勝利を飾り、マジック「10」を再点灯させた。
それでも続く22日には近鉄が意地を見せ、2対2の9回表、新外国人リードが決勝のタイムリーで3対2と勝利し、「簡単には勝てん。また明日」と仰木監督は口をとがらせるように言った。
迎えた23日、近鉄が5対3とリードした9回裏だった。今度は代打の
鈴木健がプロ初本塁打となる同点2ラン。そのまま5対5のドローとなり、マジックは「9」。森監督は「これがウチの野球。主軸が打たんでも、ちびっ子たちがやってくれる」と笑顔を見せた。なお、ちびっ子とは森監督が若手やワキ役たちを指して、よく使う言葉だ。
そして10月3日、リーグ優勝決定。MVPには多くの候補の名前が挙がり、結局、郭が手にしている。森監督は「数字に出るもの、出ないものがありますが、みんなのライオンズという気持ちがここにあったからこその優勝だと思います。全員が勝ち取った優勝ですね」と語り、「MVPを僕が選ぶとしたら辻」と「一番・二塁」でチームを陰から支えた男の名を挙げた。
苦戦となった広島との日本シリーズ
迎えた日本シリーズの相手は
広島。下馬評では圧倒的に西武有利だったが、質量ともに豊富な広島投手陣の前に思わぬ苦戦となった。
川口和久、
大野豊のリレーに敗れた第2戦と第5戦、
佐々岡真司にあわやノーヒットノーランに追い込まれた第4戦と苦戦が続き、2勝3敗と王手をかけられる。
舞台を本拠地・西武球場に移し、ようやく本領発揮。第6戦に快勝でタイとし、第7戦は第3戦で完封した渡辺久が先発。しかし、押し出しで1点を許すと5回の頭から早くも工藤を投入。簡単に抑えると、打線もリズムに乗り始め、5回裏に3点、7回さらに2点を追加した。直後、秋山がダメ押しの2ランを放ち、着地に失敗したが、“バック宙ホームイン”。7対1の勝利で2年連続日本一。4本塁打の秋山がMVPになっている。
「選手たちがよくやってくれました。すべては選手たちの力です」
森監督はリーグ優勝とまったく同じ言葉を口にした。
表彰式の後、今度は日本一のチャンピオンフラッグを持っての行進だ。やはり空は夕闇に包まれ、大歓声の中で選手が先頭で進む。森監督自身は、最後尾を穏やかな笑顔で歩いていた。
「監督には華はいらないよ。華は選手でいいんや」
それが森監督の「ダンディズム」でもあった。
写真=BBM