今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『西本は巨人の打撃コーチになるのか』
今回は『1961年6月26日号』。定価は30円だ。本文巻頭は『西本は巨人の打撃コーチになるのか』。前大毎監督、
西本幸雄である。巨人は
川上哲治監督が、事実上、打撃コーチを兼ねていたが、多忙もあって指導になかなか時間を割けず、外部から打撃コーチを招くのでは、というウワサがあった。その筆頭候補が西本だった。
川上監督が西本の人柄を高く評価していたのは周知のこと。実際、打診もあったらしいが、いつしか立ち消えとなった。受けていたら、球史が大きく変わったかもしれない。
ただ、
長嶋茂雄のコメントは、らしくていい。
「別にコーチが一人足りないからといって、どうってことないですよ。バッティングの面で分からなくなったら、監督さんに聞けばいいんですから」
ニュースストーリーは『東京スタジアムの人気』。後楽園に巨人、国鉄と同居していた大毎がついに新球場建設に乗り出す。用地問題でもたついていたが、永田雅一オーナーの知り合いでもあった政治家・河野一郎の紹介で、名鉄が持っていた南千住の土地の買収がようやく決まった。
記事の中に、映画人で友人だった故・マキノ光雄が書いた永田社長の逸話があった。
京都の動物園でライオンとトラをじっと見比べていた永田氏が突然“おい光雄君、金をこさえて東京の国技館を借り切って猛獣同士の戦いをやらせよう。ライオンと熊、象とカバとの戦いとか、毎日、組み合わせをかえて見せんのや。観客には賭けをさすんだ。勝ったほうに配当をやったらもうかる。おれは明夜発って東京へ行く”と叫んだ。
さらに「自分の計画に自分で酔ってしまって、計画と実行の幕が見えなくなるほどスピーディな実行力を持っているのが永田氏である」とも書いている。
希代の風雲児・永田社長。興味深い人物だが、この人の部下なったら大変そうだ。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM