長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 最下位の戦犯から
長嶋茂雄新監督初年度の1975年、巨人は最下位に終わった。この年、新浦寿夫の成績は2勝11敗。長嶋監督は打たれても打たれても起用したが、新浦自身は「早く二軍に落としてくれ」と思っていた。そのくらい野球の怖さを感じたシーズンだった。
そのオフ、投手陣で集まって「さい会(最下位)」を結成。76年に向け、何か願掛けしようという話になった。新浦はタバコを止め、酒は「やや控える程度」(新浦)にしたという。
ただ、キャンプに入って禁煙したことを長嶋監督に言ったらムチャクチャ怒られた。
「バカやろう。全部、俺の責任だから、お前がそんなことする必要はない。ケツの穴からヤニが出るまで吸え」
迎えた76年、「長嶋監督のために投げる」と心に決め、新浦は11勝11敗5セーブ、防御率はリーグ3位の3.11。苦悩の1年を乗り越え、最下位の戦犯から一躍、左のエースに成長していた。
写真=BBM