『ベースボールマガジン』で連載しているプロ野球選手の第2の人生応援プロジェクト「パンチ佐藤の漢の背中」。「現役を引退してから別のお仕事で頑張っている元プロ野球選手」のもとをパンチさんが訪ね、お話をうかがう連載です。今回は元横浜ベイスターズのドラフト1位投手で、現在はTBSラジオの営業マンの小桧山雅仁さんをお訪ねしました。 真っすぐではまず勝てないと新たな決め球を習得

パンチ佐藤(左)、小桧山雅仁氏
桐蔭学園高、慶大、日本石油を経て、1993年ドラフト1位で横浜入団。社会人時代にはバルセロナ五輪日本代表にも選ばれ、銅メダル獲得に貢献した。
「エリート街道まっしぐらの球歴で引退後、小桧山君のように会社員をしている人はあまりいないんじゃないかなあ」と、パンチさんも小桧山さんの半生に興味津々。まずはエリート街道の集大成・プロ野球時代からお話をうかがった。
パンチ 入団したとき、プロはどんなふうに感じました?
小桧山 キャンプのとき、大魔神・
佐々木主浩さんや
斎藤隆のボールを見て、真っすぐではまず勝てないと思いましたね。
野村弘樹にしても、左だけどボールが構えたところにしか行かない。体格もまったく違いますし、何をとってもみんな上の選手ばかりでした。僕は、先発完投というレベルのピッチャーではなかったと思います。
パンチ 僕も同じ。
オリックスに入ったとき、12球団一の外野陣ということでね、守備と足はもうかなわないと思った。僕の場合、その中で生きていくにはバッティングだと思ったんだけど、小桧山君は?
小桧山 絶対的な変化球を一つ、二つマスターすることだと思いましたね。アマチュア時代はフォークを投げていたんですが、僕は指が短いので、ボールを指に挟むとき、クセがすべてバレてしまったんです。そこで、縦のスライダーを覚えました。
パンチ それで一軍に食い込めるぞ、と思ったわけだ。
小桧山 はい。1年目は縦のスライダーにバッターが慣れておらず、結構空振りが取れたので、それで押していくしかないなと思いました。
パンチ 2年目は研究された?
小桧山 1年目のとき空振りやファウルになっていた球が前に飛ばされるようになって、「何が違うんだろう?」「球威がないのか、クセがバレているのか」と考え、どんどんおかしくなっていきました。ドツボにハマった感じです。
パンチ 小桧山君は僕とちょっと似たタイプだと思うけど、研究して考えすぎてしまうところが、逆によくなかったんだね。その後、ヒジを故障したのかな。残念だったね。
小桧山 97年に右ヒジの手術を受け、以降は毎年クビかな、クビかなと思ってやっていました。最後は、二軍の試合で高卒1年目の選手に決め球を簡単にバットに当てられまして。もう無理なんじゃないかな、と思いましたね。
パンチ 自分で「辞める」と言ったの?
小桧山 球団事務所に呼ばれて、“クビ”ですね。ちょうど朝のスポーツ紙に「球団が小桧山をスカウトとして迎える予定」という記事が出ていたので、それならきっぱり野球を辞めようと思って事務所に行ったら、球団に「(スカウトは)考えていない」と言われまして。トライアウトを受けることにしました。
ハンパない松井秀喜の“いらっしゃい感”

ベイスターズ時代の後半はヒジの痛みとの闘いだったという(写真は99年)
パンチ ちょっとシビアな言い方だけど、高校を出たばかりのヤツにパーンッと決め球を打たれて、「もう無理かな」と思ったのにスパッと辞めず、もう一度チャレンジしようと思ったのはなぜ? はっきり自分でダメだと思うまでやりたかった?
小桧山 お世話にはなりましたけど、自分をクビにした球団を見返したいという気持ちが、そこで芽生えまして……。
パンチ 今までニコニコしていた球団の人も、急に冷たくなっちゃう。「見てろ」と火が付いたわけだ。それでトライアウトはどうだったの?
小桧山 普通の投球はできましたが、声がかかったのは台湾だけ。それで翌年1年間、台湾でプレーしました。
パンチ 台湾では何を学んだ?
小桧山 選手としては、夏でクビになったんです。本当は台湾でクビになるとすぐ日本に帰されてしまうんですが、バルセロナ五輪で一緒に戦った台湾のエース・
郭李建夫(元
阪神)の声掛けで、10月までコーチとして残してもらえました。ただ言葉の問題で、良い指導はできませんでしたね。だから、学んだというより1年間野球をやらせてもらったという感じです。
パンチ そこで引退したということか。現役時代、思い出に残っている試合はありますか?
小桧山 所詮9勝しかしていないので……いい思い出はないですね。
松井秀喜選手の殿堂入りにはちょこっと貢献しましたが(苦笑)。
パンチ 松井はモノが違った?
小桧山 違いましたねえ。“いらっしゃい、いらっしゃい感”がハンパないんです。こちらからは攻めに行けない感じですよね。
パンチ 唯一弱いコースはどこだったの?
小桧山 どんなバッターでもそうでしょうが、インハイだったと思います。ただし、そこにきっちり投げられないとダメですよね。僕はそんな球威もなかったので……。
パンチ でも、松井から三振を取ったこともあるんでしょう?
小桧山 何回かはありますが、打たれたほうが多いですね。しかも、ガツンと行かれたならいいんですが、芯でもなんでもない、先っぽの先っぽで入ってしまいました。
パンチ そりゃあガツンと行かれたほうが、気持ちいいよねえ(笑)。
<「2」へ続く>
●小桧山雅仁(こひやま・まさひと)
1969年5月7日生まれ、神奈川県出身。桐蔭学園高から慶大を経て、日本石油時代にはバルセロナ五輪代表として完封勝利を挙げるなど日本の銅メダル獲得に貢献。93年ドラフト1位で横浜に入団すると1年目から44試合に登板した。2001年限りで退団し、02年は台湾球界でプレー。NPB通算成績は122試合で9勝14敗4セーブ、防御率4.30。引退後はTBSラジオに就職し、現在は営業部担当部長兼横浜支局長。
●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。
構成=前田恵 写真=山口高明