今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『プロ野球魂の勝利』
今回は『1961年10月23日号』。定価は30円だ。10月9日、ついに
巨人の優勝が決まった。ただ、この日、巨人の試合はなく、マジック対象の
中日が
広島に敗れての決定だった。
したがって優勝会見は西銀座の球団事務所。
川上哲治監督以下、選手たちは自宅から優勝決定後に集まった。川上監督が最初、一番最後に現れたのは、予想どおり、ミスタージャイアンツ、
長嶋茂雄だった。
「いやあ、優勝が決まったときはちょうど風呂に入っていたんです。風呂にラジオを持ち込みましてね。遅くなったのは、ちょうど学校の友人が来ていましてね。お祝いのビールをキュッとやって、それから出てきたからです」
川上監督は、この号に『プロ野球魂の勝利』という特別手記を寄せている。締め近くから抜粋する。
「とにかくやる気のある者でやっていく。やる気のない者は去れということで、強い指導をやってきた。なかには多少の抵抗のあった選手もあるが、次第にこちらの気持ちがわかり、またこれが本当だということがわかって、全員がこちらの指導にしたがってやってくれた。忠実な野球をやり、生活のすべてを野球におくということを実行した。
投打ともまだまだ不揃いなチームで優勝できたのは、このように選手の一人一人が職業意識に徹してやってくれたたまものだと思っている」
堅苦しいと思うかもしれないが、それ以前が自由過ぎたことも確かである。
パの首位は
水原茂監督率いる東映。優位は変わらないが、南海がジワジワと迫っていた。
南海・
鶴岡一人監督は語気を強め言う。
「まだペナントレースも終わっていないのに、世間ではあたかも東映-巨人が日本選手を争うようになっている。ワシはそのように報じるマスコミを坊主にしてやりたいと思う」
また、この年は西鉄・
稲尾和久が戦前の
スタルヒンとな並ぶ史上最多42勝を挙げたシーズンだが、スタルヒンの記録が見直しで40勝になったという話と42勝に戻ったという話の両方がスポーツ新聞でさえ、いろいろ飛び交っていたらしい。稲尾は自伝で「記録が40勝と思っていたから投げなかった。42勝と分かっていたら、まだ投げていた」という意味のことを書いている。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM