今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『柴田投手争奪戦の真相』
今回は『1961年11月6日増大号』。定価は10円アップし、40円だ。いよいよ始まった巨人-南海日本シリーズ一色の1冊だ。第1戦は南海・
スタンカの完封勝利、2戦目は巨人と星を分ける。1戦目、
田宮謙次郎(大毎)、2戦目、
村山実(
阪神)による観戦記も掲載されていた。
さらにシリーズ中にもかかわらず、巨人・
中村稔、
王貞治、南海・
森下整鎮、
皆川睦男による座談会もあった。好投スタンカについてのやり取りを抜粋する。
王 第一に感じたのは、スピードボールが意外と速くなかったことですね。僕らはもっと速い球を予想していたのですよ。それが遅いのでむしろタイミングが狂ったような感じでした。
記者 一番威力があった球は。
王 沈む球ですね。これに少し手を焼いた感じだったですね。
中村稔 沈む球は2種類あるのと違いますか。シンカーみたいにインコースに来るヤツと、もう1つはフォークボールかな。
森下 きょうのジョー(スタンカ)のシンカーは、よう沈んだな。
記者 長嶋(茂雄)さんも手を焼いていたようだが。
王 打ちにくい第一の点はタイミングの取り方なんです。背が大きいでしょう。それに腕が長いものだから、振りかぶってボールが離れるまでが、意外に長いんですよ。こいつが一番困った点ですね。
スタンカはこの年15勝11敗。ただ、
杉浦忠が右腕の動脈閉そくで離脱して以後は、この沈む球を武器に鬼気迫る投球をしたという。
一方、手術を受けた南海・杉浦忠は「ユニフォームを脱いだ苦しさ」のタイトルで
佐々木信也の連載対談に登場。手術は右腕の脇の下を切り、足の血管を移植するものだったらしい。
『柴田投手争奪戦の真相』は、法政二高の
柴田勲が大争奪戦の末、巨人に入った裏話だ。家族内でも意見が割れ、家族投票もしたという。当初は南海が優位と言われたが、最後は柴田自身の希望を優先した。
「巨人を選んだのは、やはり昔から好きだったということ。それに在京球団でもあり、名門でもある。僕の希望をすべてかなえてくれそうです」(柴田)
ただ、スカウトになったばかりの南海・
中谷信夫は「僕は何を信じていいのか分からなくなった。絶対取れると思ったのに」と悔しがる。水面下ではいろいろあったようだ。
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週べ60年記念シリーズ『巨人編』『
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM