プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。 最後の1日に生まれた“K”
1967年度の最後を締めくくる、68年4月1日に生まれたのが桑田真澄。PL学園高で1年生の夏から甲子園のマウンドを踏んで完封勝利を挙げるが、その試合で四番を打っていたのが、同じ1年生の清原和博だった。この“KKコンビ”はプロでも多くのドラマを紡いでいったが、もし桑田の誕生が1日だけでも遅かったら、我々が見てきたドラマはなかっただろう。
2人の描いた双曲線は独特の悲劇性をも漂わせているだけに、同世代だったことが必ずしも幸せなことだったとは言い切れない。ただ、桑田の生まれた日は、プロ野球だけでなく、野球界にとっても“運命の1日”だったことは間違いなさそうだ。
【1967年生まれのベストナイン】(1967年4月2日〜68年4月1日生まれ)
投手 桑田真澄(巨人)
捕手
西山秀二(
広島)
一塁手 清原和博(
西武ほか)
二塁手
大島公一(
オリックスほか)
三塁手
ヘンスリー・ミューレンス(
ヤクルト)
遊撃手
田中幸雄(
日本ハム)
外野手
大塚光二(西武)
広永益隆(ダイエーほか)
内匠政博(近鉄)
指名打者
リー・スチーブンス(近鉄)
もう1人の“K”清原和博は、ここでも一塁にいる。通算525本塁打、1530打点は圧倒的。打順でも不動の四番となりそうだ。
通算安打で清原に続くのが遊撃にいる “ミスター・ファイターズ”田中幸雄。日本ハムひと筋で95年の打点王、97年に達成した全打順での本塁打などを経ながら、プロ22年目に通算2000安打に到達した好打者で、守備位置も遊撃から外野、ふたたび遊撃と変えながらも339連続守備機会無失策をマークするなど、堅守も魅力だった。
二塁には堅実かつ華麗な守備に打撃では小技にも長けた大島公一。三塁には95年の日本一に貢献したミューレンがいて、タイプの異なる好打者による内野陣が完成した。
外野には“KKコンビ”とPL学園高でチームメートだった内匠政博、ムードメーカーの大塚光二(孝二)、プロ野球6万号にパ・リーグ3万号などメモリアル弾で球史に残る“メモリアル男”広永益隆を並べたが、通算試合が外野手でトップの河田雄佑(広島ほか)、98年に
ロッテ“七夕の悲劇”を呼び込む9回裏二死からの同点本塁打を放ったプリアム(オリックス)も同世代だ。
盤石の勝ちパターン
エースには桑田を置いたが、通算勝利とセーブを合わせれば
佐々岡真司(広島)に軍配が上がる。91年に最多勝、最優秀防御率の投手2冠に沢村賞、MVP。先発に救援に、138勝108セーブを挙げた右腕だ。捕手も長きにわたって佐々岡のいた広島の司令塔を務めた西山秀二だが、中学時代には桑田とバッテリーを組んでいるから、相性では互角。プロ野球記録のゲーム19奪三振をマークした
野田浩司もいて、右の先発三本柱は強力だ。
リリーバーでは左腕の
河本育之(ロッテほか)、右腕でアンダースローの
葛西稔(
阪神)も同世代。佐々岡もクローザーで計算することもできるが、その必要はなさそうだ。
桑田や佐々岡が好投し、田中や清原がバットで得点を稼いで、終盤に1点でもリードしていれば、負ける心配はない。清原の親友でもあり、メジャーでもクローザーとして君臨して日米通算381セーブを残した“大魔神”佐々木主浩(横浜)がブルペンに控えているからだ。横浜38年ぶり日本一の立役者でもあり、大黒柱。選手層が厚いとは言い難いが、これ以上ない勝ちパターンを誇る世代だ。
写真=BBM