これは週べ編集部の逡巡と決断をつづった超不定期連載である。たぶんに言い訳がましい内容が含まれているので興味ない方は読み飛ばしてください。 真っ赤に染めようと覚悟を決めた本塁打

驚いたような顔をしていた野間。われわれも驚いた
書店での発売は水曜日だが、週ベが出来上がり、会社に届くのは火曜の昼。いまはそれを眺めながら書いている。表紙は
鈴木誠也で、19ページまで赤、赤、赤……。
つまりはリーグ3連覇を目指す
広島大特集だ。今回もまた迷った。交流戦特集の巻頭企画として広島をピックアップしたのだが、15、16日と
中日に連敗。17日は鈴木のホームランもあって勝利したが、雨天中止に後の19日の
ヤクルト戦も序盤0対2とリードを許す。一瞬、弱気の虫が騒いだ。
「頭の4、5ページは12球団全体の交流戦展望にし、広島は少し後ろに回そうか……」
あれこれ考えているときに飛び出したのが、
野間峻祥の満塁弾だ。低い当たりだったことで、本人もびっくりしていたようだが、われわれも驚いた。もうこの試合が勝とうが負けようが、この号は真っ赤に染めようと覚悟を決めた……。
以下は、少しマジメな話。元広島、
巨人の
川口和久さんとコラムの打ち合わせをしながら感じたことを書いておこう。あす公開の川口さんコラムと重なる部分もあるが、ご容赦いただきたい。
「広島はなぜ強いのか」というテーマだ。ここでは今季の強さではなく、歴史面からの話になる。
広島に黄金時代の種がまかれたのは、いまから50年以上前、1967年に
根本陸夫がコーチとしてチーム入りしたときだったと思う。翌年、当時のオーナーから土台作りを託され監督となった根本は、いまではなく、数年先を見据え、
衣笠祥雄、
三村敏之、
水谷実雄、さらに同年秋に入団した
山本浩二、
水沼四郎ら若手野手を厳しい練習で徹底的に鍛え上げた。
さらに70年からは
関根潤三、
広岡達朗らをコーチングスタッフに加え、あらためて技術を注入する。若者たちは、野球漬けの日々の中で着実に力をつけていった。
すぐに結果が出たわけではない。72年から3年連続最下位を経て、見事に開花したのが、75年の初優勝だった。根本がコーチに就任してから9年目となる。チーム強化はそのくらい時間がかかる、ということであろう。
さらに、このときの指揮官・
古葉竹識が、さらにベースを固くした。「耐えて勝つ」を座右の銘にし、79、80、84年と日本一に導いた古葉監督は、グラウンドの指揮に長けていただけではない。スカウトと密に連絡を取り合い、常に数年先を見据えた補強を進めた。
スカウトと育成の二人三脚
広島のスカウトの力も大きい。補強資金が限られていたこともあるが、ポテンシャルの高い無名選手を見抜く術に長けていた。そして育成現場もまた、いい仕事をする。彼らが見つけてきた「原石」を徹底的に鍛え上げ、投手を野手に、右打者をスイッチにしつつ、チームが必要とする選手に磨き上げた。スカウトと育成。見事な二人三脚が広島の強さを支え続ける原動力となったことは間違いない。
ピンチもあった。広島に90年代後半からの低迷を引き寄せたのは、93年オフにスタートしたFA制度と逆指名ドラフトだった。これによって、いわゆるおカネがあるチームに戦力が集中し、広島は苦しい戦いを強いられることになる。
しかし、2007年秋から逆指名の流れを汲む希望入団枠が廃止、さらに00年代に入ってFAの大物選手が日本の他球団ではなく、メジャーに渡るケースが増えたことも大きかった。ふたたび12球団の戦力は拮抗した。そして、その間、ずっとブレることなく、原石の獲得と育成に力を注いできた広島の時代が、再びやってきたと言えるのではないだろうか。
これを違う形で生かしているのが、
ソフトバンクだ。ドラフトはドラフトでアマ時代の実績を考慮しつつ補強を勧め、プラス育成枠で無名だった
千賀滉大、
甲斐拓也、
石川柊太らを獲得。ある意味、広島スタイルで鍛え、一軍の戦力とした。豊富な資金力を持つソフトバンクだからこそできる「ダブル新人補強」と言えるのかもしれない。
話を戻す。前述のとおり、今週号は交流戦の展望号でもある。18試合と以前に比べ試合数は減っているが、ここ2年の広島がそうだったように、同一リーグの対戦がない分、ここで1チームが一気に抜け出す可能性もある。
この号では、もちろん、広島以外のチームも本誌担当記者がしっかり分析している。交流戦の観戦ガイドとして、ぜひご一読いただければと思う。
文=井口英規 写真=前島進