今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 黄金右腕の公式戦デビュー
今回は『1962年4月23日号』。定価は40円だ。プロ野球開幕号である。
巻頭は浪商高を中退し、東映入りした
尾崎行雄の公式戦デビュー。見出しは「恐るべき17歳」だった。4月8日大毎戦、3対3の延長10回表に登板し、ミサイル打線の中軸相手に快投を見せる。
葛城隆雄を投ゴロの後、
榎本喜八、
山内和弘は連続三振。その裏、味方打線が得点し、勝利投手になっている。
コメントがいい。
「山内さんは僕のことを大したピッチャーじゃないと言っているのを新聞で見て、チクショー、それなら打ってみろと思って投げました。山内さんは日本一の打者です。その人から三振を取るのは面白いです」
この開幕シリーズは東映にとって「神宮本拠地」のスタートでもある。開幕戦の前には、大川博社長がホームプレート上であいさつ。
「これからの神宮はプロ野球とアマ野球が共存していく球場していかなければなりません」
当時の神宮は広く、外野にラッキーゾーンも設置されていた。
新人と言えば、巨人は開幕から
城之内邦雄、
柴田勲と新人を2試合連続で先発させるも
阪神に連敗となった。
別所毅彦コーチの提案によりオープン戦でよかった投手に順位をつけ、1、2位がこの2人だったらしいが、開幕の緊張を考えれば、
中村稔でもよかったのでは、と批判された。
川上哲治監督は「130試合のうちの2試合」と淡々と語ったが、別所コーチに対する不信の芽になったかもしれない。
国鉄-大洋戦では大型助っ人、大洋・マックに注目が集まったが、国鉄先発・
金田正一に完全に抑え込まれた。
「大したことはない。でかいから的は大きいし、スローカーブにすぐ泳いでくれる。内角に投げたらさっぱり引っ張れん。ワシが何べんもやった大リーガーとはだいぶ差はあるな。ただ、これはあくまで今日だけの感想やぞ」
外国人選手獲得ブームだった。南海・
鶴岡一人監督は自ら渡米し、メジャー経験者、ケン・ハドレー(登録名ハドリ)獲得を決めた。鶴岡監督は3月19日から開幕ぎりぎりまで単身渡米していた。近い将来、監督を
蔭山和夫コーチに譲り、GM的存在になるための青写真があるのでは、とウワサされた。
ただ、単身と言っても鶴岡監督はまったく英語を話せず、行きの飛行機では、
「向こうで世話してくれる人が飛行場にいなかったらと思うとたまらん気持ちになった。さっぱりわからんところにほっぽり出されるなんて、たまらんで」
と親分らしからぬ(?)弱気になっていたらしい。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM